miyaのベネチアレポート
13:2年前の10月
10月から新学期が本格的に始まり、2年前に初めて学校へ来たときの事を思い出します。その当時は、まだイタリア語もあやふやで、多少の会話はできるけど授業を受けるにはまったくもって不十分なレベルで、不安でいっぱいでした。

授業第一日めは本校の学生事務所に行く用があって、結局、授業にはでられませんでした。「最初の授業は数学だったのよ」とクラスの子が言っていましたが、行かないで良かったと後から思いました。そんなの、いきなり数学なんて受けていたら、絶望と後悔でいっぱいだったはずです。

そして、次の日は、どんな授業が何時からあるのかも何も知らずに学校へ行きました。そういう情報は、すべてネット上にあったのですが、それも知らず、もし、知っていても、イタリア語があんまり読めなかったので、見てもよくわからなかったはずです。いまだに学校のホームページで迷う事が多々あり、知りたい情報がなかなか見つけられず、ページの作り方が悪いせいだとも思っています。

まず、門衛の人に自分は新入生で初めて来たがどうしたらいいのかと尋ねました。すると、学部の学生事務所に行ってくれて、話をしてくれました。というのも、事務所は一日のうち、2,3時間しか生徒に対応してくれる時間がなく、その時も閉まっていたので私の代わりに説明をしてくれたようですが、中から聞こえてきたのは高圧的な事務所の人の声。「掲示板に張ってあるでしょ!外国人は、みんなクラスAじゃない。掲示板を見なさい!」

事務所から出てきた門衛の人は、私を掲示板まで連れて行ってくれて、丁寧に説明してくれました。「あなたはクラスAだから、9時半から授業が始まってるわねー。ビジュアルコミュケーションデザイン論よ。教室は、校庭の向こうに見える講堂でやっているから。わかる?あそこよ。」
お礼を言って、初めての授業に向かいました。

とても緊張して講堂の中に入ると、ステージには教授が座っていました。髪が肩までかかった50代くらいの男の人で、白いブラウスというか、袖口がひらひらしたシャツを着ていたので、まるで中世から抜け出てきたかのような人で驚きました。
「イタリアでは、こういう人が教授なんだ」と思いましたが、それはこの人だけで、他の教授はいたって普通でした。

授業は、教授がパソコンで準備して、それをスクリーンに映し出して説明しながら進められます。ビジュアルコミュニケーションデザイン論は、日本でも習っていたので、説明がわからなくても、どういうことを言っているのかは理解できましたが、映し出される歴史的なデザイナーの言葉は、全部ノートに書き写して、後から辞書を見て訳していきました。これが、とてもいいイタリア語の勉強になりました。

それまで、見よう見まねでなんとかしゃべっていたイタリア語ですが、きちんと勉強した期間は短く、書くのも読むのもほとんどできませんでした。でも、授業で聴くデザイナーの言葉は興味深く、刺激的で、ここからデザイン用語や、言葉による表現方法を身につける事ができました。


日本と比べると、大学の様子が全く違うので、最初は何もわからず、周りの様子を見ながらうかがっていました。日本が親切すぎるのか、ここには学校のオリエンテーションや生徒一同が集まって校長が話をするという事もありません。学校にもよるらしいのですが、授業はすべてあらかじめ決まっていて、選択の自由もなく、一つの授業も最低3時間はあります。

わからない事でいっぱいでしたが、他の生徒たちに聞くと親切に教えてくれました(「イヤー、私もわからなくって、誰に聞いてもわからないって言われるのよ」っていう答えも多かったけど、イタリア人もわからないんだと知ると安心しました)。特に、留学生たち、みんなユーゴ圏の人ですが、彼らとは外国人同士、情報交換し合いながら、いろいろ教えてもらいました。

結局、学部の学生事務所は役立たずです。
私もひるまず何度か尋ねに行きましたが、その度に「インターネットに書いてあるでしょ!ネットを見なさい!」としか答えてもらえず、行くのはやめました。それに書類の提出などは、本校の学生事務所しか取り扱ってくれません。
しかし、門衛の人たち(交代も含めて3人います)は、とても親切です。
ちょっとした相談や、雑談、近くのお店を教えてもらったり、他の生徒たちも友達のように接しています。

今日も、新入生らしき留学生がたどたどしいイタリア語で何か尋ねていましたが、門衛の人は親身になって聞いて説明していました。私が初めて来た時の事を思い出し、あれからずいぶん成長したなと我ながら感心します。
大変な事や嫌な事もいっぱいあるけど、この2年間で得た物はそれ以上にすばらしい経験ばかりです。
>>「イタリア語の世界」へ戻る時はこのウンドウを閉じて下さい  次のコラムへ >>