今の私と日本と世界と

【このページの最終更新日:2011年3月1日】


1990年のバブル崩壊はついこの間の様に想い出されます。

正月明けの1月4日、勤務していた銀行から子会社の証券会社に出向した初日でした。

出社すると案内され紹介された事業法人部では全員が茫然と立ち尽くしながら銘柄と株価を表示する電光ボード を眺めていました。 ボードは鮮やかな緑色一色で埋まっていました。(緑色は前日比株価がマイナス) 時に日経ダウが3万8千円、最高値からまっしぐらに暴落し始めた瞬間でした。

その5年前、1985年9月22日のプラザ合意の直前に、銀行でドル・円の外為チーフディーラーを任命され た私は、赴任直後からドルの対円暴落に見舞われ、当初247円だったドルが、在任期間中の3年間で120円 まで暴落するすざましいマーケット取引を経験していました。
まさか、株式の世界に来て初日からまた同じような大暴落の世界を経験するとは思ってもみませんでした。 今から思えば、これもすべて神様が仕組んだ必然としか思えません。

1990年から始まったドル・円相場の大暴落は、輸出立国日本の経済構造に大きな改革を迫りました。 多く の企業が海外に生産拠点を移し、切り上げに近い相場の極端な大変動に対応して行ったのです。
不思議な事にそれでも日本経済は危機に瀕した様にはみえず、表面上は更なる熱気を帯びて世のなかには金が飛 び交い続けました。 しかし、それはもはや長続きはできなかったのです。
2000年から始まった株式相場の大暴落は、もはやすべての矛盾を小手先では処理できなくなった、「異常」 な膨張を続けた日本経済を根本から是正する大きな過程の始まりでした。

暴落直後の株式市場では、ベテランの証券マン達が電話で顧客に対して「これだけ値下がりした今がチャンスで す!こんなチャンスはもうありません!今こそ買いで立ち向かいましょう!買いしかありません!」と声を枯ら して叫び続けていました。
外為市場で、暴落後の「屍累々」の這い上がる力も残っていないすざましい戦場となったマーケットを散々見て 来た私には、とてもそうは思えず、当時営業次長と言う立場ではありましたが、お客様に対して買う事を進める 事が出来ず苦労したのが懐かしく思い出されます。

やがて、この株価崩壊は簡単なものではない、という認識が世の中の共通なものとなり、回復には2年かかると か3年はかかるとか言われ始めました。 
私は外為市場で学んだチャート分析の手法で検討した結果、この株価崩壊が起こるべくして起こった長期波動の 物理的崩壊の結果であると見て、この回復には10年かかると踏みました。


あれから早20年が経ちました。

日本経済はどうなったか・・・・明らかに回復はしていません。
回復どころか、最近の経済動向を見ていると着の身着のままの姿でいる我々の衣服を、更にまた1枚、また1枚 と剥がされて行っているようにも見えます。

目に付くポイントです:

①中国の台頭。日本の10倍の人口を誇る中国が、GDPで日本を越していなかった事自体に歴史的問題があっ たのだと思います。 いまやGDPは日本を抜き、向かうところ敵なしの高度成長の真っただ中。国民は高揚し うかれています。 50年前の日本の高度成長時代と重なります。

②韓国の外交政策の成功。僅か近年数10年で経済成長を遂げ近代化を果たした韓国は、自国は自国内に留まっ ていては発展できない事を素直に認識しており、積極的に海外に打って出て来た。 域内経済協定への積極的な 動きや、世界各国でのプロジェクトへの積極的な参加など、その動きには目を見張るものがあります。

③領土問題がすべて劣勢化。 尖閣諸島も北方領土問題も、最近の各国の動きを見ていると開いた口がふさがり ません。 しかし、冷静に見ると、これは日本経済の低迷と日米安保体制の弱体化などが深くかかわっているよ うに見えます。 特に日米安保体制の弱体化は、日本の政治の不安定さだけではなく、アジアで日本に代わって プレゼンスを増す韓国の存在が無視できません。 日本が迷っている間に米国の関心は韓国に大きくシフトして 来ているのは事実です。

④日本国内の景気は良くならない。 企業業績は回復していると言うが、その企業の主戦場は海外で、雇ってい る社員は海外現地人。 かつて世界をリードした技術開発分野の多くは韓国をはじめ海外勢に奪われている。  現在行われている対中投資は技術移転が条件となっているものが多く、最初から海外に敵を育てている。 しか しそれしか活路が残されていない。

⑤リーマンショック以降、新興国対先進国と言う構図の中でも、色々な理由の下で円だけが高く推移、結果とし て日本だけが独り負けの状態に追い込まれている。 ベクトルで言ったら今までNO.1の上向きベクトルで世 界を席巻して来た日本が、今やびりっケツで真下にベクトル向けてさまよっている。

⑥食料の自給率は40%以下と、外国に頼らなければご飯も食べて行けない日本の食糧政策に大きな変化はいま だ見られない。 情けない日本のアイデンティテイ、日本の存在感、そして日本の自立力・・・

もちろん、いまだ日本が胸を張れる分野は残されている。 当たり前です。あれだけ世界を席巻して来たのだか ら、いきなりゼロにはならないでしょう。 何が残されているか、何がふんばれるかを考える事は大事かもしれ ませんが、それ以上に注目すべきは、「もう2度と以前の輝かしい日本には戻りそうにない」と思われる事でし ょう。


かつての日本の繁栄はなんであったか。 

①江戸時代の永い鎖国、明治の開国と共に急速に入って来た海外先進国の文化・文明に力を得る日本人の伝統的 な「ヤマト魂」

②日清・日露と勝ち進む戦争

③台頭する帝国主義、傲慢な思想が到達した真珠湾攻撃、そしてその結果の敗戦国への没落。

④叩きのめされ打ちのめされ、悲劇と貧困の中で生きる日本人の「ヤマト魂」は不屈のハングリー精神を産み、 全てを崩壊された復興需要の中で未曾有の経済発展へと繋がって行った。

まぁ、こんな事情が背景にあったのは間違いないでしょう。


世界を席巻したつい先日の日本の姿が本来の姿だと思うのは、それこそ傲慢な妄想と言わざるを得ません。 それは、歴史の流れの中の特殊な状況に於いて色々な要素がすべて一つの方向を向いて火を噴いた結果であり、 それは、日本として「当たり前」の姿ではなかったのです。
特別な条件の下での特別な努力が無くて実現する訳などなかったのです。


そして今、今の日本に何があるのか。

かつてあったが今の日本に全くなくなってしまった物が目に付きます。 それは「ハングリー精神」です。

なぜモンゴル出身のの力士が強いのか。なぜブラジルのサッカー選手に名プレイヤーが多いのか、なぜ共産圏の 選手はオリンピックで活躍するのか。それは厳しく貧しくもある日常からの脱出の為に特権階級的な暮らしが保 証されているスポーツにすべてを賭ける「ハングリー精神」がある事が理由で在る事に異論をはさむ余地はない でしょう。

私が一番愕然とするのが、電車の中で若者が両手でゲーム機に夢中になってかじりついている姿です。手にして いる本は例外なくマンガ雑誌。一方58歳の私は自慢する訳ではないが(私にとっては当り前の事だから)ヘッド フォン・ステレオで外国語講座を聴き、手にしている本は天文か電気の専門書。 これからの、そして今の日本 をしょって立つ若者諸君のこの姿を見て、何がこれからの日本に期待できると言うのか。

別にゲーム機が悪いと言っている訳ではないが、所詮人が作った遊び道具で、作った人の知恵に翻弄されている だけのものではないのか。そのゲームの勝利者となる事で何が生まれるのだろうか。 何故自分の知恵をそのゲ ーム機を開発する為に使おうと思わないのだろうか。

電車の中でそう言った若者を見るたびに、それはその若者の生活の中のほんの一面でわずかな息抜きの為のリラ ックスタイムに過ぎず、それ以外の時間はクリエイティブな生き方をしていてくれと願っています。

ハングリー精神の消滅と共に、チャレンジ精神や、より大きな物を得る為に困難を買って出る意欲、リスクを冒 しても自分の可能性を試そうとする考えなども失われてしまったように見えます。
すべてが小さく安全志向。 就職や家庭内の役割分担などを見てもその結果をたくさん見出すことができます。
かつての日本の高度成長を支えた団塊の世代は徐々に高齢化し、少子化でそれを支える若者世代の人口は益々減 少していると言うのに、その若者が前述のような状態に陥っているのです。

私は、残念ながら、今の日本にその問題解決の解を見出す事ができません。  少なくとも私の生きている間に、「日本」と言う枠組みは私にとって喜ばしいものとはなってくれそうに思えな いのです。
私は日本生まれで両親も日本人ですから、れっきとした日本人である事に間違いはありません。 しかし、残念ながら最近はこれからの残された人生を日本で過ごしたくはないなぁと思う事が多くなって来まし た。

今までの人生で数多くの国を訪れ、数多くの各国の親しい友人と付合って来た私としては、もともと個人と国は 別で、利害関係がすべての国民が一致しているわけではないし、どこの国で生きようと、それは個人の自由な人生の選択であると考えています。
今手元に十分なお金があったなら(現実は残念ながら全く無い!)、即座に目を付けている幾つかの国での移住 生活を選択するだろうと思います。

天から金でも降って来ない限り有り得ない夢物語でしょうから、今はせめて私の趣味である「アマチュア無線」 で世界中の人達と交信をしてその会話の中で異国文化の人々の生き方に触れ、そのおすそわけを貰いながら、自分の心を少しでも豊かにできるように努めていると言うのが現実です。
まぁ、そうしながら世の中の変化を注視しながら、自分がより一層自分らしく心地良く生きていける道をいつも模索しているのかもしれません。


2011年2月記



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