32年振りのスペイン再訪


【このページの最終更新日:2017年8月13日】

念願のスペイン再訪、32年振りに実現! (2017年7月)

永年身を置いたサラリーマンの世界から足を洗い、事業主となってタイムラプス・フォトグラファーとして活躍するようになった今、やっと念願のスペイン再訪の機会を作ることができるようになりました。
2017年7月3日〜7月25日の3週間、タイムラプス映像遠征撮影を兼ねてスペインを再訪しました。



32年前に、38日間かけて8,800Kmを走破しながらスペイン各地をつぶさに回った事がありましたから、何処に何がああるかは頭の中にはっきりと焼きついていたので、その中でも印象深かった所を辿りながらマドリッドを起点に、カスティージャ・イ・レオン地方、
アラゴン地方、カスティージャ・ラ・マンチャ地方、アンダルシア地方、エキストマドゥーラ地方をぐるりと一周するコースを企画しました。
ドリッドに到着後、レンタカーにて行動開始!3週間をかけて3,864Kmを走破しながらスペイン各地でタイムラプス映像を撮影することになりました。

バラハス空港に降り立った32年振りのスペインの第一印象は・・・
空気が排気ガスで臭くない!(当時はガソリンの質が悪く、街中に異様な匂いが漂っていた)
車がみんなピカピカでポンコツ車が走ってない!
街中にMercadoと表記されるスーパーがあちこちに・・・(スーパーなんて一軒もなかった)
Bar(居酒屋)の数が減った。
バスが大型で超綺麗!日本より素晴らしい!

さて、翌朝さっそく出発!まずかつて何度も訪れたアビラ、セゴビアで撮影をした後、親友Ricardoが待つパレンシアに向かいました。
なんちゅうことだ!この高速道路網!!!複雑怪奇でナビで走るのも大変!
当時は高速道路なんてスペイン南部に100Km区間程度あっただけで、どこにもなかった。それが今では全国を網羅!
しかもほとんどが無料のAutovia。 有料のAutopistaもあるが、ほとんど出会わない。舗装や道路幅が素晴らしい!



写真は片側2車線写しています。 両方とも道路の造りに大差はなく、サービスエリアの充実度などに差がある程度に感じました。 それよりも道路舗装や幅など、高速道路としてのクォリティは抜群で、すべてが日本で言えば新東名の仕上がりです。
32年前には高速道路はスペイン南部にわずか1路線、それも100Km程度しかなかったのに、今では全土をくまなく高速道路網が網羅しています。しかもそのほとんどがただ!そしてすばらしい舗装!そして何よりも嬉しいのが制限速度が120Kmだと言うことです。 スピード違反取締りのレーダーはたまに設置されてますが、直前にどでかく華やかな電光掲示板!で警告しているので、そこだけ速度を落とせばOK! 覆面も走ってないし、だいたいパトカーをすごい速度で追い越しても追いかけてこない!し・・・結局時速160〜170Kmで快適にクルージングできました。



これが昔ながらの一般道です。 舗装が大変良く、日本の普通の高速道路並みの仕上がりです。 スペインの一般道の制限速度は90Kmです。しかし道が良い区間では最高速度は100Km!です。結局みんな大体140Kmくらいで走っています。



これが中央線がない最も悪いクラスの道です。それでも舗装の仕上がりが驚きです。 道路は間違いなくこの32年間の間に日本をはるかに追い越してしまったようです。



そして親友Ricardoが住む
PALENCIAへ!

32年ぶりの再会!!言葉になりませんでした。 Ricardo宅には3泊させてもらいました。


まずは庭に育つぶどうの木から自家醸造したワインで乾杯です!






Ricardoの実家のあるNava del Rey村に行って、やはり32年振りにRicardoのお母さんに会いました。当時は何度も食事に招かれました。


そして、翌日の夜は32年前のValladolid大学のSantacruz寮の仲の良かった寮生の仲間たちが集まってくれてパーティが開かれました!
スペインはこの32年間ですっかり変わってしまいましたが、友情は全く変わらないんだと言う事を強く感じました。
翌日はみんなで北部山岳地帯にある村Vidrierosまで出かけて楽しいひと時を過ごしました。






Ricardoと懐かしいValladolid大学のSantacruz寮に行きました。あいにく夏休みで寮は閉鎖中でしたが、寮の正門前で32年前、彼とお別れをしたのを思い出しました。
彼があの時「Ya te vas...」(これでもう行っちまうんだ・・・)と悲しそうに言ったのを昨日の事のように覚えています。
Santacruz女子寮にも行きました。 男子寮祭の夜、皆で酔っ払って女子寮まで歌いながら行進して、女子寮の壁に並んで一斉に放尿するのが伝統でした。 おもわず当時を思い出して放尿スタイルを・・・




ヴァジャドリッドに唯一あった中華(台湾)料理レストランは、32年前実に良く通いました。当時の女主人と再会したらちゃんと覚えていてくれました。生卵とごはんと醤油を注文したのは後にも先にも私だけだそうです。
自作のカラオケ装置を持ち込んで店内で歌ったとか、叔父が九州で医者をしているとか実に良く覚えてくれてました。何度もハグをしました。
また、当時私にスペイン語の個人授業をしてくれた先生にも再会することができました。 もうタイムマシンに乗った気持ちです。




32年前に一番親しくしていた女子学生、Margaritaとも32年振りに再会する事ができました。彼女のお陰でスペインを知り、スペイン語も身につける事ができたと言っても過言ではありません。
今では一男一女のママ。 娘のPaula(写真)がとっても可愛くてすぐに仲良しになりました。とっても魅力的で聡明な女の子(16歳)です。 さすがMargaritaの娘です。
昔の写真と比べるとお互いに全く変わってしまって32年の月日の長さを感じずにはいられません。 しかし当時親しくしていた気持ちと言うのは今でも決して変わらないものです。





さて、感動の再会をたくさん果たした後は、いよいよ撮影旅行の開始です!


AVILA




SEGOVIA




FRIAS





HUESCA
Huescaでは英国人の友人がHuesca出身のスペイン人の奥さんと一緒に待ち構えてくれていて、当地での撮影を3日間一生懸命サポートしてくれました。








CUENCA




TOLEDO





CAMPO DE CRIPTANA





MONTEFRIO





RONDA




ARCOS DE LA FRONTERA







これらの撮影で得た画像で制作したタイムラプス映像がこれです!





さて、32年振りのスペインはあらゆる意味で私にとってとてつもなく大きな機会となりました。 
32年前に帰国して以来、ずっと32年間再訪を夢のように抱いて来ましたが、それがついに実現したのだから当然です。

今回の旅行で忘れかけていた物、失いかけていた物をすべて取り返す事ができたような気がします。


また、変わった物、変わっていない物、32年振りだからこそくっきりと目に映りました。

【変わった物】

・昔は人々の注意を引く(例えばレストランで給仕を呼ぶ時とか)時には歯を閉じて唇を少し開けて空気を舌で押し出して「ツ〜〜ツ〜〜!!」としていたが、今では誰もそれをしない。黙って手を挙げる!(信じられない!)

・昔は道路はすべて赤・緑・黄の3色に分類され、地図も道路にある標識・石標もその色に塗ってあった。赤が大きな街道、緑が普通の街道、黄色が田舎道と区分けされていたので、地図を見るだけであたりの風景が想像できたが、今はまったくその表示は姿を消してしまった。ほとんどの赤い幹線道路が無料高速道路のAutoviaに置き換えられ、それ以外の道は単に一般道として表記されるようになっている。(残念!)

・本ページの冒頭に述べたように、道路のサイズや舗装はいつのまにか日本をはるかに超えてしまった。素晴らしいの一言に尽きる。(VIVA ESPANA!!)

・昔はガソリンの質が悪く街中が臭い排気ガスの匂いに満ちていた(特にMadrid)が、今は全く消えてしまった。(安心しました)

・昔は情けないほどのポンコツ車がたくさん走っていたが、今は日本と全く変わらない。 バスなどの大型公共交通機関は日本よりか素晴らしい車体を使っている。(VIVA ESPANA!!)


・昔はバル(居酒屋)に行くとカウンター前の床はごみだらけ(たばこの吸殻やティッシュや食べかすなどなんでも皆投げ捨てていた)なので、自分がカウンターの前に居場所を作るためには足でごみを払って立つスペースを作る必要があったが、今では全くごみがない。(信じられない!)

・昔はスペインは煙草天国だった。 授業中も教授は煙草を吸いながらだったし、学生も椅子に座りながら煙草を吸って、教授と同じように吸殻を床に捨てて足で踏み消していた。 今では建物の中(バルやレストラン)は一切禁煙!(信じられない!) しかし、話は単純ではない。 空気が乾燥したスペインでは昼間でもパラソルや庇さえあれば、外で飲食が快適にできるので、ほとんどのバルやテストランは同じ面積くらいのテラス席がある。 そこに座れば飲食しながら喫煙可能!(だから日本は簡単に西洋の真似をするんじゃないよ!と言いたい)

・昔はすべてのスペイン人が闘牛を熱愛していたが、今は国民の半分近くが凄惨・残酷だと否定的になっている。(それで正常だと思うなぁ・・あれは日本人には耐えられません)


【変わらない物】

・友情(感動だね。人生万歳!)

・議論をする時、相手の話は聴かない。ただ言いたい事をまくしたてて言い合う。相手の話は全面否定する。知らないことも知ったように話しまくる。だからいくら議論しても話が論理的に積みあがらないので前進しないし永遠に結論が出ない。(これぞスペイン!)

・朝飯は相変わらず甘いクッキー、チョコレートビスケットとミルク・コーヒー(う〜〜ん朝からこれは辛い!)

・スペイン料理のおいしさ! ビールやワインのおいしさ!(VIVA ESPANA)  
 ※何故ここまで極端になってしまったのかわからないが、帰国後は日本のビールが全く飲めなくなってしまった。缶ビール半分も飲めず、気持ち悪くなってしまう・・・

・日本を始め、外国人にとってスペインと言えばフラメンコ! フラメンコと言えばスペイン!だが、相変わらず南部アンダルシア地方の人々を除いて大半のスペイン人はフラメンコはジプシーの文化でスペインの文化だとは認めておらず嫌いな人が多い。フラメンコがスペインを代表すると言うと気分を害する人が多い(大体外国人と言うのはそう言うものなんだよね。日本だって外国人にとってはサムライ、ハラキリ、カミカゼ、ゲイシャ、フジヤマだし、音楽と言えばお琴でさくらさくらだものね)



最後に・・・・食べ物・飲み物! やはりこれが懐かしかった!!


Sopa Castella(にんにくスープ)とGazpacho(冷製スープ)


Bocadillo de Jamon y Queso(生ハムとチーズを硬いパンではさんだ一番ポピュラーな軽食) 日本で食べる生ハムと違って分厚くスライスして量もどかん!


左がFlan con Nata(プリンと生クリーム)。ただし昔は生クリームがプリンを取り囲んでぐるりとお皿を埋めていた。量もこれの数倍!
右のトッピングにあるのがQueso de Cabra(山羊の乳で作ったチーズ)、これはたまらなく美味しい。昔はめったになかったが、今はずいぶんポピュラーになっている。


Segovia名物の子豚の丸焼き、Cochinillo。残酷だが有名。懐かしくて食べたがやはり脂が多いので食後はかなり気持ち悪くなる!(笑)


やっぱりスペイン料理で一番日本人に受けるのはPaella(パエジャ)です。 本当に美味しい!!
右は単なるハンバーガー(Hamburgesa)だけど肉がとても美味しくて、インターナショナルな食べ物。


左は血と玉ねぎとスパイスと米の腸詰(Morcilla)。たまらん美味しさです。
右は子羊(生後4週間以内)のスペアリブでChuletillas de lechazo。これは本当に珍味!!



左は香辛料がきいたソーセージ、チョリソ(Chorizo)。種類がたくさんありますが、どれも美味しい!
右はFlan con Nataに次いで大好きだったデザート、クワハーダ(Cuajada)。羊の乳で作ったヨーグルトとプリンの間のようなもので美味しい!写真のように蜂蜜をかけて食べます。



ワインはなんと言ってもスペインのレゼルバ(Reserva=Reserved=熟成物)に限ります!これは16年ものでした。たまらんね。
ビールは単にのど越しを競うような日本のビールとは異次元!味が濃くて滑らか!グラスの内側に着く細かい泡を見ただけで違いがわかります。




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