MAFNET_KOREA_07
韓国の伝統芸術 「パンソリ」

【このページの最終更新日:2000年12月19日】

1.パンソリとは?

パンソリとは、18世紀初頭に全羅道を中心に発達した、歌い手と太鼓の叩き手ひとりずつがペアになって共演する語り節の 伝統音楽、いわば語りのオペラです。 歌い手(唱者)は「広大(クァンデ)」と呼ばれますが、これはまさに独りで広くて大きな 事を演じる為についた呼称で、まさしくパンソリが「独りオペラ」と言われる所以です。 パンソリは、歌い手が太鼓の調子に合わせて歌、言葉、身振りの3つを取り混ぜながらひとつの語り(話)を即興的に演ずる フリースタイルの音楽です。 基本的に短調で歌われるパンソリはその発声のひとつひとつが芸術であり、深い感情の裏付けと磨き上げた表現技術があって 初めて完成する極めて奥行の深い高度な庶民芸能でもあります。

パンソリには、食べ物と同じ様に、甘味・苦味・酸味・辛味・渋味の5種類の基本的な味(五味)があるとされ、五味をきちんと駆使で きる事が基本とされています。 また、パンソリの音色は大きく3つに分けられ、西便制、中便制、東便制があります。  それぞれ女性的、中性的、男性的な音色とされています。

パンソリでは韓国人の独特の精神の世界である「恨」(ハン)はもっとも大切な感情とされます。 パンソリにおける恨とは、第三者に 対する「うらみ」だけではなく、自分自身が果たせなかった無念感や自責の念としての恨もあります。  パンソリの世界では、これらの恨をありのままに自分の内に迎え入れてそれと向かい合い、そして最後はそれを乗り越える事によって 自らに打ち勝とうとする世界なのです。

パンソリの公演では観客との一体化が極めて重要視されます。 歌いに調子を合わせる太鼓の叩き手の音と、見物人である聴衆が 語りの流れに完全に溶け合って、相互に興を盛り立て合ってこそ完璧な公演とされています。


2.私とパンソリの出逢い

韓国の演歌を聴いて、日本の演歌との共通性に驚いた人は多いでしょう。 そして演歌は日本人の心だなんて言っていた 自分が恥ずかしく思う人も多いでしょう。 だけど良く聴いて見ると韓国演歌と日本演歌の決定的な違いに気がつきます。 すなわち、日本の演歌は感情を抑えて抑えて歌っているのに対して、韓国演歌は感情をえぐり出してぶつけているんです。 そう言えば、日本のテレビ番組で日本で演歌を歌っている韓国の女性歌手が、日本で演歌を歌う難しさをそう表現して いました。 彼女は日本で評判の歌手ですが、いつも日本で歌うときには如何に自分を殺して抑えるかで苦労していると 語っていました。

そんな私が始めて韓国のパンソリに出会ったのは、知り合った韓国人の友人から送られてきた有名な韓国映画のビデオCD でした。 「西便制(ソピョンチェ)」 がその映画のタイトルでした。 この映画は上映6週目にして20万の観客を動員し オリジナルサウンドトラックが60,000枚以上の売上を記録したと言う話題の超人気映画です。 映画を通じて流れるパンソリを始めて聴いて、一辺にとりこになってしまいました。 一人前のパンソリを歌えるようになるには自分の人生の全てをかけて、自分の喉を 一生つぶしてしまうかも知れないほどの修行を積んで成し遂げられる、人生をかけた超芸術です。 自分の中で自分の感情 との闘いの末やっと到達できる世界です。 パンソリの歌いを聴いたとき、いままで日本の演歌で搾り出していたわびとか さびとか、人生の苦悩やおたけびみたいな物が、如何に「軽薄」なものであったか(演歌ファンの方ごめんなさい。別に悪口 を言っている訳ではないのでご容赦を)思い知ったのです。

これが私が初めてパンソリと出逢ったビデオCD 「西便制(ソピョンチェ)」 です

韓国演歌と日本演歌の違いは、もとより韓国人の感情表現と日本人の感情表現がまるで正反対な事に起因しているのは 言うまでもありませんが、その韓国演歌の源流ににあるのが、このパンソリであると強く感じました。 韓国演歌と日本演歌の違いが国民性による表現方法の違いだけであるとしたら、日本演歌のルーツもこのパンソリにあると 言っていいのかもしれません。 何よりも大事なのは、日本人であるのならかなり多くの人が必ずやこのパンソリに胸を 打たれるであろうと言う事実です。 近年、パンソリは西洋でも紹介され、高い評価を得ているようですが、彼らに何処までこのパンソリの心を理解できるの だろうと疑問に思うのは、我々日本人ならではの事であると思います。 そしてそれが、我々日本人が韓国人と切っても 切れない血縁関係にある証拠だと思うのです。


3.パンソリ映画 「風の丘を越えて〜西便制」 (韓国のワールドムービーENT社のビデオCDのご紹介)

1993年制作のこの韓国映画 「西便制(ソピョンチェ)」 は、「風の丘を越えて〜西便制」と言うタイトルで日本でも紹介され ています。

この映画は、1960年代の韓国南部の田舎を舞台とし、パンソリを頑固に守り抜く父が、幼い娘(養女)ソンファと幼い息 子(亡くなった愛人の連れ子)ドンホと3人での旅芸人一座の物語です。  父はパンソリを歌い旅をしながら、明けても暮れても厳しく2人にパンソリを仕込みます。ソンファには歌いを、ドンホには太鼓の叩 き手を徹底的に仕込みます。 


旅をしてパンソリを演じながらソンファとドンホはだんだん一人前のパンソリの演者に育って行きます。


映画の中で何度となく流れる彼女のパンソリの声はなんとも言えず素晴らしいです。 彼女の美しさと相まって、通の良い透き通 った声の響きは時として地の底から湧くような力すら髣髴させます。










貧困の生活の苦しさと父のパンソリに対するあまりにも厳しすぎる情熱に、


ドンホは遂には一家を飛び出してしまい、父と娘二人だけの旅芸人の生活が続きます。 


ドンホが出て行ってから、パンソリを歌う事を拒絶するようになった娘に対して、あくまでも パンソリの完成をめざす父は、毎日娘に薬草を飲ませ、遂には娘を失明させます。 


貧困と荒廃の中、父は先立ち、盲目のソンファはひとり取り残されどん底の世界を生きることになります。 歳月が流れて、飛び出したドンホは懐しさと罪悪感で別れた父と姉(ソンファ)を捜してさまよい歩きます。 ついにソンファの居所を突き止めた息子は1、何も名乗らぬまま10年ぶりのパンソリの共演を求めます。



ソンファは歌い、ドンホは太鼓を叩きます。 


歌いながら聴く太鼓の音で鼓手は弟だと気付きます。 しかし、そこにはそれまでの鬱積した父への思いや すべての苦悩が溢れ出すように、歌いに熱中する二人の姿しかないのです。 






彼女はこの時に初めて恨を解きほぐされ恨を越え、その歌は頂点を極めるのです。 ふたりはいつしか涙を流しながら慢心の力でパンソリを演じます。 この映画のハイライトと結論なのです。






※ この画像は上の 「2.私とパンソリの出逢い」 でご紹介した、韓国のワールドムービーENT社のビデオCDによるものです。
※ 韓国のビデオ・ショップで入手可能なほか、インターネットの通信販売でも購入する事ができます。


4.パンソリの歴史

パンソリは、18世紀の始めに、米穀の生産が豊かな朝鮮半島南部の全羅道で、それをもとに財を成した商人が歌い手(唱者)「クァンデ」 のパトロンになった為に発達したと言われています。 パンソリがパンソリとして確立する前は、歌だけでなく、仮面劇や人形劇などの演劇や、綱渡りなどの芸も見せる、旅がらす芸能 であったと伝えられています。 パンソリが韓国で再認識されたのはつい2、30年前からであり、それも韓国の伝統的な節回しを欧米人が絶賛したことがきっかけ でした。

パンソリにはもともと12編ありましたが、現在まで歌い継がれたのはその中の5編だけとなっています。  春香(チュンヒャン)歌、沈清(シムチョン)歌、興夫(フンボ)歌、水宮(スグン)歌、赤壁(ジョクビョク)歌がその5つです。

(1)春香(チュンヒャン)歌
朝鮮時代のヤンバン(両班)の息子イ・モンリョンと妓生(芸者)の娘ソン・チュンヒャンのラブストーリーで、 「春香の愛」「春香の別れ」「春香の試練」「春香の再会」など四つの場で構成されています。

(2)沈清(シムチョン)歌
沈清歌は孝行娘、沈清(シムチョン)が身体まで投げ売って、最後は盲目の父の目を見えるようにすると言う悲劇的な孝行物語。 「幼い頃の沈清」「処女になった沈清」「皇后に生まれ変わった沈清」などの場で構成されています。 最も技巧的に難しいパンソリとされています。

(3)興夫(フンボ)歌
興夫歌は貧しいが善良なフンボが種から育てたひょうたんの中に金銀財宝福を授かる物語。 金持ちなのに欲が深い隣人が真似を してひょうたんを育てたら中から汚物とお化けが出てきたと言う、韓国版「花咲かじいさん」です。

(4)水宮(スグン)歌
水宮歌はウサギの知恵にだまされた龍宮家族の物語で、動物を通じて人間の群像を風刺的に描写しています。

(5)赤壁(ジョクビョク)歌
ジョクビョク歌は、中国の羅貫中が書いた小説「三国志演義」の中の「ジョクビョク大全」を元にした、改訂版「三国志」。



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