無線で出逢った人生の恩人KL7Cとの交信録音 (MP3)

【このページの最終更新日:2007年7月1日】

1976年2月に、初めてAnchorageのRayさんのお宅を訪ねた時の写真

年月日 交信時間 相手局 備 考 当局設備 録音時間 録 音
1981年02月08日 14:00〜15:52 KL7C 14MHzでKL7C(Rayさん)を代表とするUSA局とのラグチューに没頭していた頃のQSO。
Background Noise としてRayさんの奥さん、私の女房も登場します。
/3 大阪府高槻市 TS-520D+TA33 14MHz 45分 東京のJR1CNB、川上さんが受信録音
1980年10月19日 16:00〜17:23
17:00〜17:41
KL7C
WA2UUK/DU3
14MHzでKL7C(Rayさん)を代表とするUSA局とのラグチューに没頭していた頃のQSO。
途中でずっとワッチしていたWA2UUK/DU3が堪り兼ねてブレイクインして来ます。
/3 大阪府高槻市 TS-520D+VS41(GP) 14MHz 48分 東京のJR1CNB、川上さんが受信録音


当時は私はまだ28歳の新婚時代、英語はまだまだ修行中の段階で、会話にはたくさんの間違った英語が飛び出しています。このKL7C/Rayさんのおかげで 、私は英語を身に付けられたと言って過言でありません。 Rayさんが教えてくれたのは英語だけではありませんでした。 アメリカの文化 や物の考え方を広く学ばせてくれました。 彼は正に私の生涯の恩人です。

私が大学3年生であった1975年2月3日がKL7C(当時はKL7CYH)との1stQSOです。 私の英語に日本語なまりがある事、アメリカ人が無線で使っている英語は正しい英語ではない事を教えてくれ、 私に東京湾の話しをさせてそれを録音し、再生しながら間違いをひとつひとつ直してくれました。「Signal」と言う単語の発音を20分近くかけて直してくれました。 「このレッスンを続けたかったら明日の同じ時間(0300Z)に同じ周波数(14.225MHz)に出て来て下さい」と言ってくれたRayさんの言葉が、それから毎日のスケジュール QSOとFriendshipの始まりでした。

大学卒業前の1976年2月、新婚旅行で1980年2月、の2回にわたりアンカレッジのRayさん宅にお邪魔して、生涯忘れられない数々の素晴らしい体験をさせて頂きました。

Rayさんのお父さんMarion/K6GJ(Los Altos/California)もハムで、良く3人でラウンドテーブルQSOもしました。Marionご夫妻は、1982年に当時大阪に住んでいた 新婚の我が家に来られ、数日間滞在されました。(今はお二人とも他界されています)

私の両親も、1992年8月にアンカレッジに旅行に行き、Rayさんに会いもてなして頂きました。アンカレッジでアラスカの大きな蟹をRayさんと 一緒に堪能したのが父の最期の海外旅行の思い出になり、その年の12月に病気で他界しました。

2002年6月に大学生になった私の息子が短期留学でアメリカに滞在中に休みを利用してPorlandに移り住んだRayさんに 会いに行き数日間お世話になりました。セスナを操縦させて貰ったり、ヨットに乗せて貰ったり有頂天になって楽しんだ様で、 お別れする時には涙が止まらなかったそうです。ちょうど私がその26年前にアンカレッジ空港で体験したのと同じように。


(このページは、たまたま東京練馬にお住まいのJR1CNB、川上さんから、「こんな録音テープが残っています」とご連絡を頂き、デジタル・ファイルにして プレゼントして頂いたお陰で誕生しました。川上さんのご親切とご努力に心から感謝いたします。 2007年6月10日)


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