JR1MAFの黎明期(1968年〜1972年)

【このページの最終更新日:2009年5月14日】



高校クラブ局でのアマチュア無線との出逢い

高校入学直後にたまたま屋上のアマチュア無線部の部室前を通りかかった時の事です。 いきなり中から聴こえて来た「アメリカ人の英語」の声に その場に釘付けになってしまいました。 中を覗くと上級生が2,3人で大掛かりな無線機の前で交信をしていました。 電撃で打たれたショックとは まさにこの事で、私はそのまま部室に侵入、「入部させてください!」と大声を上げました。 「なんだおまえ、一年生か。免許持ってんのか?」と 上級生が訝しげに尋ねてきました。 当然免許など持っている訳ないのですが(この瞬間がアマチュア無線との最初の出会いでしたので)、気が付いたら 私は「はい!」と元気良く返事をしていたようです。

21MHzのSSBでした。 まだワッチすらした事のない状態でしたが、入部を申し出たその場で上級生のオペレーションを黙って見る事10分、上級生が 「おまえ、やってみろ!」とCQ呼び出しを促しました。 かくしてこの世でアマチュア無線を知ったわずか10分後にいきなりマイクを握らされ、CQDXを 連呼する羽目になりました。

初めて出す電波が「CQDX CQDX This is JA1Y......」といきなり英語でDX宛CQコールと言う日本人は 他にはいないのではないでしょうか?  横で私のCQ呼び出しをぶすっとした顔で見ていた上級生が漏らした一言を今でもはっきり覚えています。 それは「おまえ、下手だな。」でした。(爆)

さて、その下手なCQDXに呼んできてくれたKG6(グアム)の局が私のファーストQSOとなりました。 私のファーストQSOはDX局であったのです。 当然相手の 喋っている事はほとんど理解できませんでした。 その時私が何をどう話したのか今となってはまったく覚えていませんが、とにかくそうして歴史に残る 1stQSOが始まり、終わったのです。

ちなみにリグはYAESUの誇るSSB送信機FL100Bと、同受信機FR100Bの最新鋭ラインアップに校舎屋上に 建てた4エレ八木でありました。 当時はまだSSBで運用している局は少なく、アンテナもワイヤーア ンテナが主流でしたから、この設備は当時のハムの羨望の的であった様です。


初めての自宅無線設備

これで味をしめた私が最初に自宅に設置した無線設備は、友人から借りてきたTRIO(今のKENWOOD) のTR-1000という業界初のオールソリッドステート(今は聞かなくなった呼び方ですが、要はすべて トランジスタ、つまり真空管を使ってないと言う事です)トランシーバーでした。 ショルダーバッ グ程の大きな重たい鉄製のケースに入った50MHz/AMの1W機で、受信は連続可変で50MHzから52MHzあた りまでカバーしてましたが、送信はクリスタル(水晶発振子)の5チャンネルでした。 内蔵の電池は 単一10本と言うすごいもので、ホイップアンテナは多段伸縮式で全長1.5mとすべてがキングサイズで した。

固定用のアンテナはなにもなく、直接10mほどのビニール線をコネクタに差し、片方は屋根の上に放 り投げたモノでした。 やがて中古のTR-1000を購入し、アンテナは地上高8mの3エレ八木で本格的 (?)に運用を開始しました。 このアンテナシステムは創意と工夫の賜物で、28ミリか32ミリのコ ンジットパイプを継ぎ足したマストを部屋の窓のすぐ外に2段ステーを取って立て、マストパイプの 底にはゴルフボールをはめ込み、地面側にはレンガを埋め込み、ゴルフボールの上に乗ったマストが 軽く回る構造としました。(正に自作ベアリングです) 窓からひょいと手を出してマストをつかん でクルっと回す事ができました。 わずかな時間に素早く相手局にフロント方向を向ける事ができる 現在のどんなアンテナ・ローターシステムよりすぐれた、自称「手もテーター」(EMOTATORを文字っ て)でした。

このリグはとことん使い込みました。 その後色々改造を繰り返し、最後は受信用のVFOをクリスタル で発振させたローカル周波数とミックスさせ送信周波数用のキャリアを発生させ、それを送信回路の 初段にぶち込むと言う、「プリミックスVFO」を自作し、(当時のCQ誌に改造記事が載っていました) 今では当たり前となったトランシーブ操作を実現しました。 これでクリスタル=固定周波数から開 放されバンド中を自由に行き来できる様になりました。 これは当時としてはかなり高度な改造で、 ローカルのOMさんに大変お世話になりました。


初めてのモービルQSO

学校のクラブ以外で初めて実現したDX-QSOは実は、このTR-1000でQSOしたオーストラリアの局との QSOでした。 そうです、50MHzのAMで、たったの1Wで、しかも自転車モービルからだったんです。

当時はサイクル19ピークの頃で、ハイバンドでAMでDXががんがん入感していました。(しかも相手 は10Wにダイポール!) 自宅近くを自転車のフレームに大きなTR-1000を固定し、1.5mもあるホイッ プアンテナをひょろひょろ立てながらローカルの家に向かって走っていると、52MHzのあたりでVK局 が必死にCQを出しているのが入感。 内蔵しているクリスタル(水晶発振子)の中で一番高い周波数 のものが50.45MHzでしたので、なんと1.5MHzも下からではありますが、こちらも必死でコールを続 けると、見事にコールバックがありました。

これが私の初めてのモービルQSOで、しかもDX-QSOでありました。


初めてのHF帯無線機の製作

さて、私がアマチュア無線を始めたのは、アメリカ人と英語で話がしたいと言う気持ちによるもの である事は、本ホームページの「私とアマチュア無線」に記述した通りです。 DX-QSOをやる為に HF帯の設備構築に傾注し始めたのは言うまでもありません。

そうは言っても高校一年生、銭はなし。 当然ジャンク(テレビの解体部品とか)を並べて、アレコ レ思案する日々が続きました。 暇があるとローカルのOM宅にお邪魔し、TRIOのHF帯オールバンド AM送信機TX88A(6146ファイナル10W)+VFO-1とか、TRIOの受信機9R59とかを触らせてもらいました。 当然オール真空管式リグです。 わずか7、8mの地上高に上げたワイヤーダイポール(21MHz)で北米 やヨーロッパの局とAMで面白い様にQSOできるのを見てなんとか自分もこんなシャックが欲しいと悶 々としたものです。

最初に完成したリグは、6AR5ファイナル(入力5W)3球式のAM送信機で周波数は3.5MHz帯の一波(ク リスタル)でした。 同調はネオン管の輝きをみながら調整すると言うもので、初めての自作機では ありましたが、見事一発で動作しました。 変調回路はスピーカー出力トランスを使ったハイシング 変調でした。 もちろん、3.5MHzではDXとQSOのしようもないのですが、とりあえずHF帯で電波が出せ る様になった訳です。

次に困ったのが当然アンテナでありました。 敷地内に張れるのは7MHzのインバーテッドVが限界で した。 屋根の上のTVアンテナが取り付けてある屋根馬の上の4mほどのコンジットパイプのトップ を給電点に張ったモノでしたが、当然3.5MHzの電波が乗るはずなく、ローカル局とのみのQSOでした。

受信機はローカルのOMさんから貰ったSTAR(今はもう潰れてありません)のSR-100と言う短波BCL用の 5球スーパーを使いました。 このSR-100と言う今お目にかかったら涙が出る程懐かしさが込み上げて 来そうなオモチャの様な受信機は、その後何度となく改造に改造を重ね、前出のTR-1000と共にその後 の私の電子技術習得・向上の礎となってくれました。 いずれにしろ、3.5MHzは実用にはならず、時 々50MHzのTR-1000と一緒に使って、ローカル局と同時通話クロスバンドQSO等をやっていました。(Hi)


HF帯実用機へのチャレンジ 〜憧れのアメリカへの第一歩〜

とりあえず送受信機を半田ごてを持って触れる様になったところで、もっと本格的なリグが欲しくな りました。

とは言っても、悲しいかな高校生、お金はなく、今度も父から貰った古いテレビの解体部品が大活躍 しました。 どうしても足りない部品はローカルのOMさんにおねだりをして譲り受けたりする事とな りました。 低いバンドではどうにもならない事がわかったので、今度はプラグインコイル交換式の 7MHz〜28MHzの送信機を作る事にしました。 シャーシには母から貰った大きなクッキーの空缶をひっ くり返して代用しました。 ファイナルはテレビから取り出した水平出力管を使いました。発振回路 は相変わらず水晶発振の固定周波数で、それも高価な水晶は1個しかありませんでした。周波数は覚え ていませんが、確か3.505MHz位のもので、その他のバンドでは逓倍する関係上、7.010MHz、14.020 MHz、21.030MHz、と各バンド1チャンネルの固定でした。 部品の関係上モートは電信専用機でした。 各バンドで20W近くパワーが出たかと記憶していますが、結構調子良く働いてくれました。 

電信用に電鍵(キー)が必要でありましたが、これも金のない高校生、自作する事にしました。木の台 座の上に、かなり昔に親が買ってくれた日曜大工(工作)用の安物の小型のこぎりの刃を立てて、横ぶ れ式の電鍵を製作しました。 

アンテナは先に作った7MHzのインバーテッドVしかないし、第一受信機(スターSR-100)は3.5MHz/7MHz でしか使い物になりませんでしたから、結局運用はほとんど7MHzと言うことになりました。 CWは実際に やってみると、短縮電文の様ではありますがとにかく英文の世界、私の憧れるアメリカへぐっと近づけた気が しました。

こうなると「なんとかしてもう少しまともに聴こえる受信機が欲しい、そして相手局に周波数を合わせて送信 できるVFOが欲しい、そうすればCWでアメリカ人と英文で交信できるではないか!」と言う想いが日増しに募るように なりました。

段々自作にも慣れて来たところで、当時の標準型受信機であった「高1中2」(こういちちゅうに)、すなわち「高周波増幅一段+中間周波増幅2段」 受信機の製作に取り掛かりました。 もちろんケースから主要部品に至るまで、ローカルのOMさんに随分お世話になりました。 この受信機は安定度は悪かったですが、とにかく実用域に達する感度を持っていました。選択度は素晴らしく広く(笑)上下数キロヘルツの CWの信号は同じ強度で一度に聴こえました。余談ですが、この事がその後の私のCW受信能力を大いに高めてくれることになりました。  すなわち「聴覚」フィルターです。 その後40年にわたり、CWフィルターと言うものはほとんど使わない事になりました。情報量の少ない狭帯域の音のみの雑音 を伴った信号は私にとっては今でも聴きやすくはありません。何が同時に聴こえようとも、自分が目的とするトーンの信号のみに集中できる「聴覚」 フィルターこそが打鍵者の息遣いまで伝えてくれるベストのツールとなっています。

さて、この受信機の成功に味をしめ、続いてVFOを作製しました。温度補償なんて知識もありませんでしたし(当時の雑誌などの製作記事でも触れていなかった のではないかと記憶しています)、スイッチ・オン直後は言うに及ばず常に動き続ける、「可変周波数発振器」と言うよりは「変動周波数発振器」でしたが、 それと比べれはまだ安定していた受信機を送信時にも常にオンして、CWトーンを一定に保つように送信中にVFOを調整しながら交信する、と言う運用スタイルが 確立しました。

とにかくこれで7MHzでは安定してCW QSOが出来るようになりました。 アメリカ局とも結構QSOができました。 電文調の文字通信であれ、英語は英語です。私は 有頂天になって、ますます勉強から遠ざかり、入学時は学年トップだった高校の成績は地の底まで落ちて行きました。


立ち塞がる大学受験と悶々の日々

さすがに大学受験が目の前に来ると、このままではいけないと、リグを押入れにしまったり、ローカルのOMさんのお宅に預けたり、そうは言っても 我慢がならずまた取り出して来て無線を始めると言う事を何度も繰り返すようになりました。 何度ローカルの皆さんに「大学入学までのQRT宣言」を行ったか 記憶にない程で、当時のログをみると数ページおきに「QRTする!」、「QRTする!」と大書きしてあるのを見るにつけ、当局の自制心の無さに情けなく思いがします。

この頃になると、ローカルのOMもさすがに私に免許取得を強く迫って来ました。(そうです、私はアンカバのままここまで来てしまったんです) 他のローカル局達もこのOMに同調し、もういい加減に免許と取らんとQSOはしないぞ!と言う態度を示され、遂に?私は重い腰を挙げ国家試験を受験し、やっと従事者免許を取得したのです。JA1の次のプリフィックスがJH1でしたが、私のプリフィックスは3番目であるJR1となりました。(私の同級生達は私と違って真面目に高校1年の時に免許を取得しておりましたので、JH1のRコール前後でした) ここにやっとママチュア無線局JR1MAFが誕生したのです。

一方、かなわぬHFでのアメリカ局との電話交信は、いたずらに私を悶々とさせ、実現可能なところで情熱をくすぶらせるしかありませんでした。 くだんの高1中2の受信機 の中に50MHzのクリスタルコンバーターを組み込んで50MHz専用受信機とすると、今度は50MHz送信機の製作にとりかかりました。ファイナルは2E24(2E26の直熱管)で10W以上の出力がありました。6BQ5プッシュプルのプレート・スクリーン同時変調によるAMと、バリキャップを使ったFM変調が可能で、極めて安定に動作してくれました。

夜な夜なこのシステムでローカルとのQSOに明け暮れ、見る夢はヤエスのSSBトランシーバー、FTDX-400の夢ばかりでした。 ろくすっぽ勉強もしなかった私は1年間の浪人生活を経て(それも無線に明け暮れました)やっと大学にかろうじて合格、遂に悶々とくすぶり続けて来た高校生活に別れを告げる事になりました。 そして同時にアマチュア無線活動を本格的に開始する事になったのは言うまでもありません。



※ 以降は「アルバムで綴るJR1MAFのあゆみ 1972年〜」に続く




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