アルバムで綴るJR1MAFのあゆみ(1972年〜)

【このページの最終更新日:2010年10月27日】

【1968〜71年】

暗黒の高校生時代。 英語が話せるアマチュア無線と言う世界に出逢うも、金は無しリグは買えない、受験勉強はしなければならないと言う後ろめたさの中で悶々としながらも、50MHzAMでローカルラグチューでうっぷんを晴らしつつ50MHz帯AM/FM送受信機やHF帯のCW/AM送受信機を製作、成績は地の底まで落ちながらも、「アメリカ人と話したい!」と言う情熱は日に日に高まるのみ。 不思議と写真一枚すら残っていない、まさに文字通り「暗黒の日々」を悶々と過ごしました。



【1972年】

大学に入学した直後の頃のシャック。 リグは高校生時代に自作したもの。
写真のリグは2E26ファイナル、6BQ5PP変調の50MHz AM/FM 10W送信機+VFO+高1中2受信機(50MHzクリコン内蔵)



 
アンテナは50MHzの3エレ八木(シャックの窓を開けて手で回す回転式)と、屋根の上の7MHzインバーテッドVでした。




【1972〜79年】

大学生となってアルバイトを重ね、TRIO TS520-Dを購入。(最初にYAESU FT-401Sを購入しましたが、好きになれず売却)
当時東京立川の杉浦商会で大量に売られていたベトナム戦争がらみの米軍通信機ジャンク(ミル規格)の超高級パーツでリニア・アンプ(DX362/4CX350 × 4)を自作。
アンテナは、自作の12mHの木製ハシゴタワーに自作の2エレ・トライバンド・キュビカルクワッド。
積年の夢が叶い、毎日数時間USA局と悠々とラグチューに没頭していました。  私の人生に大きな影響力を与えてくれた恩人KL7CYH(後にKL7C)Rayさんと知り合い、毎日スケジュールQSOを始めたのもこの頃。

 



【1980〜81年】

転勤した大阪で、独身寮とマンションでのシャックです。(兵庫県芦屋市、大阪府高槻市)
初めて自宅を離れ、大阪でのポータブル運用になりましたが、好コンディションにも助けられ、大阪から週末のUSA局とのDXラグチューを継続していました。

 
独身寮では4F建ての寮の屋上にマルチバンドGP(HIDAKA VS-41/7〜28MHz))を上げました。

 
翌年には結婚をし、大阪府高槻市のマンションに引っ越し、4F建てのマンションの屋上にMOSELEY TA-33(14〜28MHz 3エレ八木)を上げました。 



【1982〜86年】

再び転勤で大阪から東京に戻って来ましたが、社宅住まいのとなりました。(東京都国立市)
アンテナは4Fの屋上に上げたマルチバンドGP(DIAMOND DP-CP5/3.5〜28MHz)でした。 社宅だったのでまきちらしていたTVIは皆が大目に見てくれていました。
週末は相変わらずUSA局を中心にDXラグチューに没頭し、来日した外国人ハムが良く狭い社宅に泊まりに来ました。

 



【1987〜90年】

現在のQTH(埼玉県飯能市)に自宅を建築。
22mHのクランクアップ・タワーに14MHz/21MHzの4エレ(クリエイト214C)を上げ、開局以来の念願であったタワーとビームのあるまともな無線局がやっと実現しました。
KENWOOD TS-940Sに、リニア・アンプは東京ハイパワーHL-2K(自作の4CX350 × 4 の方が俄然ヘビーデューティでパワーも出ましたが、熱心なローカルにほだされて譲ってしまいました)
楽々とDX局とのラグチューを楽しむ傍ら、BBSホスト・プログラムを自作、JR1MAF-1を運用。(1987年〜)  今のインターネットHPの走り?です。

 
PC-8001上でBASICでログ・ソフトを開発。 今では当たり前ですが、当時は他に聞く事のなかった「QSO時に過去の履歴を瞬時に呼び出し相手の名前を呼んで驚かせる」なんて事を実現していました。


RBBSホスト・プログラムを開発し、PC-9801(一番右のPC)でJR1MAF-1を動かし始めました。



【1991〜95年】

無線とコンピューターの統合的システムを完成。 SSTV、RTTY、衛星通信と幅広いモードで運用。 日本で数局目のパケットクラスターのノードを開設、14MHzを使って日本で初めてHLのノードとリンクを取る一方、UAなどアジアのユーザーのアクセスを受けました。
18MHzのバンド開放をきっかけに前人未踏の地でのロマン追求に惹かれ18MHzオンリー(モノバンド運用)に特化するが、国内外共にまだ18MHz用のアンテナすら珍しかった中での独走驀進に、やがて永年大切にして来た「DXラグチューを通しての国際交流」と言う開局以来の軌道を逸脱、益々設備巨大化を図りDXing街道を暴走することになりました。 


左上のPCはRBBSホスト局「JR1MAF/MAFNET」、右の2台のPCがパケット・クラスターのノード局「JR1MAF-1」、上段の無線機とTNCはすべてホスト局、ノード局用


やがて、衛星通信と18MHzオンリーに特化、暴走が始まりました。 左上が庭の物置に設置したリニア・アンプのコントローラー

  
リニアアンプと、YOで最適化設計した18MHz/7エレ八木アンテナ、そしてサテライト(衛星通信)用アンテナシステム


この時のシステム系統図です



【1996〜98年】

逸脱した軌道は長くは走れないものです。 やがて、聴こえないDX局との単独QSOをしてしまったとか、力の論理で全てをねじ伏せようとしている自分の行動の空しさに嫌になる一方で、金銭面でも生活面でも自分の趣味の「犠牲」となっている家族の姿が見えるに至り、目が覚めました。  一大決心をし、リニア・アンプは売却し、18MHz7エレは14MHz5エレに改造、古巣の14MHzでのDXラグチューの世界に戻る事にしました。

 



【2009年】

その後、天文の世界で深宇宙銀河の探求に情熱を燃やすようになり、調度10年間、無線から遠ざかってしまいました。

しかし庭に自作建造した天体観測室が経年劣化で使用不能となった頃、飲み屋で知り合ったOMから聴いた真空管の話をきっかけに、40数年前に格闘した真空管式機器への希求が始まり、1960年代の真空管式AM送受信機の世界に無線のロマンの原点を感じ復活する事になりました。
同時に新しいVoIPによる通信システムEchoLinkの存在を知り、DXラグチューの為にはまさに理想的なシステムに感激、直ちにノードを立ち上げ、大きなアンテナもリニアもいらない夢の「DXラグチュー」の世界を構築するに至りました。 

メインリグはあくまでも1960年代のあこがれのラインアップ。 

「最先端であること、競争に勝つことよりも、心と技術こそがアマチュア無線の原点

 
1960年代の憧れのAM機、TRIO TX88A + VFO-1 + 9R59 + CC-6 + SM5、日新電子 スカイエリート6、TRIO TR-1000のラインアップ。 
アンテナは14MHz5エレ八木と、HF帯サブアンテナとして上げた8.3m長バーチカル・ホイップ+ATU(AH-4)で3.5〜28MHzにQRV可能。 50MHzは6エレ八木。
右上がEchoLinkのリンク・ノード局。



【2010 春 】

1960年代の真空管式送受信機の世界は、AMに留まらず当時出始めたばかりのSSB機にも思いがつのり、当時のあこがれであった、ヤエス400ライン集めとレストアに発展してしまいました。
最後は真空管SSB機の世界の最高峰、あこがれのコリンズKWM-2Aにまで手を伸ばしてしまいました。

自作真空管リグで無線を始めた当初、一番アクティヴだった50MHzについては、特別の想いがあるようで、当時のあこがれだったSKYELITE6を皮切りに、トランジスタ式ではありますが、TR-1000からRJX-601まで、AM時代のヒーロー達も入手しレストアを行いました。
そして勢い余った想いは、かつてWとのラグチューに燃えた私を支えてくれたが既に手放してしまった懐かしいリグ達にも及び、FT-401D、TS-520D、更にモービルで使用したFT-7、IC-721もオークションで「取り返し」ました。

レストアとメインテナンスの為に中古の測定器群も苦労して一通り取り揃え、結果的にシャックはかなり幅を利かせた大仕掛けな設備になってしまいました。

真空管式リグのアマチュア無線の原点たる所以は、単に私の若き時代へのノスタルジアではなく、すべての回路の動作を理解し、調整し、改造すら簡単にできる事。  そして知識を深め技術を磨き、この世の中に自分だけの物を創造できる素晴らしさです。

 

※ 現在のこの設備の詳細は、左のサブメニューの「固定運用設備」のページをご覧ください。



【2010 秋 】

ノスタルジア?の象徴的存在であった真空管式オールバンドAM/CW送受信機ラインが完成し、本格的に自作機の世界に入ってしまいました。 

アンテナも永年の懸案だったタワー上にまともな3.5MHz用のアンテナを上げると言う課題に対し、全長17mのロータリーダイポール(ICOMのATU AH-4でチューニング)を上げ、国内QSOには全く問題がなくなりました。
これで3.5MHz(自作ロータリー・ダイポール)は国内QSO専用、14MHz(自作5エレ八木)はDX QSO専用、430MHz(クリエート13エレ八木スタック)はローカルQSO専用、50MHz(自作10エレ八木)はオールラウンド用途と、アンテナ・システムがすっきりとまとまりました。

なお、自作機の評価や、いざと言う時のバックアップの為に1台は現代の技術のDSP機があっても良かろうと、ICOM IC-756PROVを購入しました。(後継機のIC-7600と同じ定価で並行販売状態となった為、定価の半額程度で購入できました)

 

※ この自作機の詳細は、左のサブメニューの「自作機工作室」ページをご覧下さい。




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