| 事故便名 |
事故日 |
場所 |
機種 |
概要 |
死者 |
| Adam 574 |
2007/1/1 |
Slabaya, Indonesia |
737 |
慣性航法装置の故障で現在地が分からなくなった問題に忙殺される中、自動操縦が解除された。 パイロットは機体が右に傾いたことに気付かず、操縦桿を引き続けた。機体は急降下し空中分解。 度重なる慣性航法装置の故障をいいかげんな掃除だけの整備を繰り返してきた粗悪LLCの結末。 事故後同社は解体された。 |
102人全員死亡 |
| Aero Mexico 498 & Piper4891 |
1986/8/31 |
Los Angeles, U.S.A. |
DC9 & Piper Cheroky PA-28 |
LA空港にAero Mexico 498便がアプローチを開始。 管制官の指示により降下を続ける。 突如激しい衝撃があり急降下を始めた。 住宅街に墜落した。 一方、近くの小学校の校庭にPiper機が落ちていた。上部がえぐられていたが、他の部分はそのまま残っていた。 DC9の尾部にPiper機のプロペラと塗料がついていた。 水平尾翼が破壊されもぎ取られDC9は墜落したと見られた。 Piper機の飛行計画ではTCA(LA空港の特別飛行管理空域)を通らないことになっていたが、実際にはTCAに侵入していた。 高速道路に沿って飛行していたと見られ、そのうちTCAに入ってしまったと推測された。 管制官はPiper機をレーダーで認識できたはずだったが、見えなかったと証言した。 レーダーの記録を見ると、Piper機の機影は映っていたと思われた。 ただしレーダーは古く、建物の影響で時々映らないスキャンもありえた。 また同じ頃、他の自家用機がTCAに侵入してきたので、その対応に時間をとられ気をとられていた。 しかしPiper機のトランスポンダーは進行方向しか示さないタイプで、気がついたとしても高度情報はわからず、即座に衝突が判断できるものではなかった。 レーダー記録によると、両機とも回避行動をとった痕跡が残ってなかった。当日は視界は20Km以上もあったのにかかわらずだ。 DC9からは小さなPiper機の確認はしにくかったと推測された。 この事故がきっかけで全米の航空機にTCASの搭載が義務付けられることになった。 管制官はショックで仕事に復帰できなかった。 |
DC9の64人とPiperの3人全員と、地上の15人が死亡 |
| Aero Peru 603 |
1996/10/2 |
Lima, Peru沖の太平洋 |
757 |
夜中の0時過ぎにLima空港を離陸した。 離陸後すぐに高度計が動かない。 地上0を示したまま。 3つの計器がすべて。 更に速度計も0のまま動かない。 続いて方向蛇レシオの異常警報が鳴った。 しかしその後突如高度計が動き出した。 しばらく上昇してからAPに切り替えて対策を考えることにしたが、3系統の計器数値が一致しないのでAPに切り替わらなかった。 MACHスピード警報が鳴った。 緊急着陸を決意した。 管制官のレーダー誘導に従った。 ILS進入をする事にした。 機体の制御自体は全く可能だった。 闇夜の中で冷静な状況原因分析は難しかった。 高度情報を管制官に確認したが、管制官が受信しているトランスポンダーは故障した高度計の情報に基づいているので正しい高度ではなかった。 スピードブレーキで速度を落としたが、オーバースピードの警報が鳴る。 続いて失速警報も鳴った。 クルーの混乱は極地に達した。 他機の誘導を依頼した。 機体は3000mと認識されていたが、実際は海面300mだった。 地上接近警報が鳴った。 しかし警報だらけにさらされていたので、唯一正しい警報だった地上接近警報を信じる事はなかった。 突如翼が海面に接触した。 フルパワーで上昇を試みたが叶わず墜落した。 機体はあまり大きく分解せずそのまま海底に沈んでいた。 着水時には乗客は生きており、沈んだあとで溺死した。 高度と速度はピトー管によっている。 残骸から発見されたピトー管にはなんとテープが貼られていた。 離陸直前の機体洗浄作業の際に取り外し忘れたものだった。 登場前に機長が機体の外回りの点検をしたが気がつかなかった。 銀色のテープを使っていたのが事態を困難にしていた。 この事故では、整備士に実刑判決が出たほか、期待洗浄時に水が入ると具合が悪いピトー管自体にメーカーの責任があると追求され、ボーイング社は乗客の悲惨な死に方を考慮して、遺族一人当たり1億円と言う多額の和解金を支払った。 |
70人全員死亡 |
| Air Canada 143 |
1983/7/23 |
Canada |
767 |
グラスコックピットになった767を購入にして140数時間目の飛行でMontorealからEdmontonに向かって巡航中に、燃料ポンプの警報が鳴った。 FMSによれば燃料は十分積んでいる事になっていた。 独立した燃料計は故障中だった。 ダイバートしてWinnipegに向かおうとしたが、たまたま同乗していたエアカナダの整備士もコックピットで新鋭機を見学していた。 すぐに片側エンジンが停止した。 やがて右側エンジンも停止してしまった。 Winnipegはまだ120Km先だった。 一番近い空港まで誘導を管制官に依頼したがトランスポンダーは電源断でオフとなったので管制官は1次レーダーで捕捉した。 Gimli軍用基地の方が30Kmほど近かったが、最初は機長は救援設備のあるWinnipegを目指す決断をした。 しかしその後副操縦士は計算を繰り返し、Winnipegまでは到達できないと算出した。 そこでGimliに向かうことにした。 ギアを下ろしたが、前脚のロックランプが点灯しなかった。 9Km手前で空港が見えたが高度が高すぎた。 急降下すれば速度が上がってしまうが、フラップは使えなかった。 旋回するには高度が足りなかった。機長はグライダー経験が豊富だったのでグライダーで良く使う、操縦かんを左に切り、方向舵を右に踏み、飛行機の右翼を大きく上に上げ、左にサイド・スリップさせる方法を大型旅客機で行う決意をした。斜めになって落下させて行った。 ところが滑走路は滑走路として使用されてなく、カー・レースが行われた直後で滑走路の先には子供が自転車で遊んでいた。 うまく着陸接地した。 機首のギアは降りてなく、機首をこすりながら滑走した。 子供たちは必死で逃げた。 方向の調整は左右のブレーキの踏み加減で最後は避けるつもりだったが、なんとか手前で停止する事に成功した。 燃料タンクには60数リットルしか残ってなかった。 燃料漏れの箇所もなかった。 機長は燃料を重さで把握するが、燃料を給油する地上側は体積で把握していた。 その為、燃料係が機長に報告する時には体積から重さに変換する計算がされていた。 調査員は給油機記録を調べる内に、体積をKgに変換する係数とポンドに変換する係数がある事に気づいた。 給油係を問い詰めると、最初はポンドに換算したと言ったが、問い詰めるとわからないと言った。 Air canadaではそれまではポンドを使っていたが、767型機からはKgを使う様になった。 22,300Kgを必要としていたのに、実際に給油されたのは22,300ポンド(Kgのほぼ半分)だった。 当時はまだ燃料に関する責任の所在がはっきりしていなかったし、メートル法換算の訓練も誰も受けていなかった。 |
69人全員無事 |
| Air Canada 797 |
1983/6/2 |
Canada |
DC9 |
高度10,000mを巡航中にトイレのモーターのブレーカーが何度が落ちた。 トイレが詰まりモーターが過熱したものと思い、しばらく様子をみていたが、そのうちトイレから煙が上がった。 クルーが消火器をかけたが、状況は悪化、最寄のシンシナティ空港に緊急着陸をした。 主要計器以外はすべて電源が落ち、操縦系も操作が極端に重たくなった。 機内・コックピットは煙に満ちて、操縦士も外がほとんど見えなかったが、最後は空港管制の誘導を頼りに無事着陸した。 着陸後脱出中に、機内に空気が入った事でフラッシュオーバーが発生し、26名が逃げ遅れた。 CVRの分析で最初に放電の音が確認され、トイレ付近の配線にアーク放電の痕跡があったが、火災発生後に放電したかもしれず原因は特定できなかった。 クルーの対応の不十分さが指摘された。 機長は火災の原因を突き止めようとはせず、また消火器で消化にあったった乗務員もマスクなどが装備されてなかった事もあり、不十分であった。 煙探知機も義務付けられていなかった。 |
46人の内23人死亡 |
| Air Florida 90 |
1982/1/13 |
Washington DC, U.S.A. |
737 |
豪雪の中長い時間待機された後やっとジョセフ空港を離陸した737は離陸後振動が始まり上昇できず、そのまま空港近くの氷り付いたPotomac川に墜落した。 FDRによると離陸に通常より9秒長い45秒もかかっていた。 残骸から発見されたEPR計は振り切れていた、つまり正常より高く表示していたわけで、離陸時に正しいパワーが出力されていなかった可能性があった。 CVRでも操縦した副操縦士が何か表示がおかしいと指摘していた。(操縦士は速度計だけ見て、大丈夫だと答えた) EPR計のセンサーが雪で異常を表示していたと考えられた。 CVRの記録でチェックリストでアンチアイスと読み上げた時、機長は何も躊躇せずOFFと確認し、副操縦士も聞き流していた。(いつものつもりだったか?) それがEPR計のセンサーを凍結させたと推定された。 機長は離発着時の手順を踏まない事で社内で何度も指摘されていた。 離陸後失速に対し、操縦かんを前に倒せとの機長の指示が続き、最後にフルパワーにスロットルを上げたのは墜落の5秒前で間に合わなかった。 最初に失速した時にフルパワーにしていれば避けられた事故だった。 |
79人の内74人と地上の4人が死亡 |
| Air France 296(デモ飛行チャーター機) |
1988/6/26 |
Habsheim, France |
A-320 |
航空ショーで機首上げ低速低空飛行をしたが滑走路の先の森を避けようと上昇操作するも、エンジンの反応は遅く、またCPUが失速防止モードに入りエレベーターを下げて機首下げした為に森に墜落した。 当初から低く滑走路上を飛びすぎた為と指摘され機長の操縦ミスを追及されたが、機長は独自に調査して反論を繰り広げた。 最後はフライト・レコーダーが現場から持ち出された時の写真と、証拠として残っているものが違うことを発見、フライ・バイ・ワイヤ・システムの欠陥を隠蔽する為にエアバス側がすり替えを行ったと突き止めた。 フライトレコーダーのデータ上に4秒の空白が加えられた可能性を専門かも指摘した。 しかし根強い陰謀があり、裁判では結局機長の操縦ミスで有罪判決が下された。 |
130余人の内2人死亡 |
| Air France 358 |
2005/8/2 |
Tront, Canada |
A340 |
ParisからカナダのTrontoに向け飛び立った。 コックピット内の後ろの補助席にエールフランスの社員の子息を許可を得てを乗せていた。 Trontoに近づいてきたが到着地は激しい雷雨だった。 管制塔から空中待機の指示が出た。 その時点でダイバート空港であるOttawaには飛べるだけの燃料があった。 待機解除が出たので着陸態勢に入った。 嵐の雲の中に降下して行った。 フルフラップを出し、ギアも下げた。 雷雨と強風の中乱気流に揉まれながらアプローチが続いた。 激しい着地をした。 しかし時速145Kmで滑走路を飛び出し、翼を分断し機体を大破して止まった。 燃料の匂いがしたので全員脱出をめざした。 すぐに機体に火が上がった。 嵐の中で燃えさかる機体から全員が脱出に成功した。 機長はダイバートすべきと考えたが、管制官が着陸可能と指示したので着陸を選択した。 しかし突風で乱気流が発生していた。 空港の風速計は雷で破壊されていた。 調査の結果、着陸時にはブレーキは作動し、スポイラーは出され、リバーサーも正常だった。 しかしリバーサーがフルパワーになったのは接地17秒後も後だった。 また滑走路端での高度は2倍高く、滑走路の中央で接地していた。 機長は(副操縦士が操縦していた)下ろせ、下ろせと叫んでいた。 風の向きから管制官が指示した滑走路はTronto空港で一番短い滑走路だったので接地点から1200mしか残っていなかった。 |
358人全員無事 |
| Air France 447 |
2009/5/31 |
大西洋上空 |
A330 |
オートパイロットでFL350を巡航。 ブラジルの管制域を出て大西洋上のデッド・ゾーンに入った後、セネガルの管制エリアに現れなかった。 ACARSを搭載していたので24回のメンテナンス・データが本社に送られていた。 その中にピトー管の異常を知らせるデータがあった。 ピトー管が凍結した場合の対処法は社内で良く知らされていたので、原因からは除外された。 機体の破片から空中分解せずに墜落したと推定された。 またギャレーの損傷状態が垂直方向に力が加わっており、機体は水平状態で海面に落ちたと推定された。 ソナー探知ではFDRは発見できなかった。 墜落から2年経った時、最後のデーターが送られた位置を中心37Kmの海域で自律潜水艇で最後の捜索が行われ、水深4,000mでFDRとCVRが発見された。 FDRによるとピトー管の凍結でAPがマニュアル操縦に切り替わった。パイロットはなぜか急な機首上げをしてしまい失速警報を鳴らした。 失速がはじまって降下しているのにパイロットは機首上げを続けていた。 CVRの記録で、直前に機長が休憩後の副操縦士と交代していた。 その後のコックピット内はどちらが主導権があるか曖昧な状態となっていた。 失速警報が鳴った時最初から副操縦士席にいた副操縦士がコントロールを引き受けたが、彼は機首上げ操作をした。 途中で機首を下げなければと気づいたが、実際には操縦かんを引いていた。 機長席の副操縦士がコントロールを宣言し、彼は機首下げ操作をしたが、副操縦士席の副操縦士はまだ操縦かんを引いていた。 機長が戻ってきて、副操縦士席の副操縦士が操縦かんを引いているのに気がついてやめろと指示したが、間に合わなかった。 |
228人全員死亡 |
| Air France 4590 |
2000/7/25 |
シャルルドゴール空港、フランス |
コンコルド |
離陸滑走中に左エンジンが火を噴いたがV1を超えていた為無理矢理離陸したが、空港から9.5Km離れたホテルに墜落大破炎上した。 就航後31年目にして初のコンコルド死亡事故となった。 滑走路には、燃料タンクの破片が落ちていた。 内部から外に向かって破壊された証拠だった。 タイヤの破片も落ちていた。 またコンコルド以外の航空機の一部と思われる部品が落ちていた。 コンピューター・シミュレーションで、破裂したタイヤの破片の翼への当たり所によっては、燃料がフル積載した場合、内部の共鳴で後方からタンクが破壊して燃料が吹きだすことが実証された。 滑走路に落ちていた他機の部品は調査の結果、直前に離陸したコンチネンタル航空のDC10のエンジン周りの補強部品(磨耗ストリップ)だった。 わずか16日前に修理して取り付けた部品だったが、施工が完全ではなかった。 タイヤの破片の切り口とと落ちていた部品の形状が一致した。 また、同型の部品をコンコルドのタイヤを履き25トンの錘を積んだ2輪トレーラーに踏ませる実験をしたところ、タイヤは瞬時に炸裂した。 タイヤが落ちていた部品を踏んで切り裂かれて破裂した為にそのタイヤの破片が翼の燃料タンクを直撃したと断定された。 |
109人全員と地上の4人死亡 |
| Air Inter 148 |
1992/1/20 |
Strasbourg, France |
A320 |
アプローチ中の滑走路変更指示でIRS自動操縦ではなく手計算で降下率(3.3度)を算出してFCUに入力。 この際降下角でなく降下率(3300feet)で入力した為大きく降下し山に激突。対地レーダーは警報がうるさいと言う理由でAIr Interは未搭載。 A320の「安全」機能(直前の動きと反対の設定をすると、その設定値を倍増させる)がFCU入力直前のタービュランス(高度上昇0.5秒)に反応し、更に降下を大きくさせた。 A320の降下率と降下角を同じディスプレーで表示すると言うインターフェースにそもそも誤解させた問題があった。 |
96人の内87人死亡 |
| Air Moorea 1121 |
2007/8/9 |
Tahiti |
デハビランド・カナダ、ツイン・オッター |
18Km離れたMoorea島とTahiti島の間を飛ぶ近距離便を空の四輪駆動車と呼ばれるツイン・オッターでワンマン運行。 Tahitiを離陸し正常に上昇していたが急速に高度を落とし始め、急降下となり離陸7分後海に墜落した。 重量はオーバーしていなかった。 再現飛行をして目撃者達に上昇できた高度を推測した。 700mの海底から無人潜水艇を使ってCVRを回収した。 エンジンは最大出力のままの音が録音されていた。 フラップ引き込み操作終了の直後に機長が驚いたような声を出していた。 その数秒後墜落していた。 デブリの調査からエレベーターを操作するワイヤーの切れ口が他のケーブルと異なっている事を発見した。 調査の結果一度に切れたのではなく、徐々に構成しているワイヤ単線が切れている様子が所見された。 一日に50回も離着陸を繰り返す同便ではケーブルへの負担は多かった。 駐機の間に直ぐ近くを通る大型旅客機のジェットブラストでラダーに恒常的に当たっていたことがわかった。 タヒチ空港には防護壁がじゃまなので撤去されていた。 同航空会社では駐機中には操縦かんを機種下げ位置で金具を使って固定する規則になっていたので、余計にケーブルに負担がかかっていた。 単線が何本も切れたワイヤーが最後にすべて切れたものと推定された。 同機から新しいステンレス製のケーブルが採用されていたが、ステンレスは錆びないが磨耗に弱い特性が事態を助長したもの。 |
20人全員死亡 |
| Air Transat 236 |
2001/8/24 |
大西洋上空 |
A330 |
カナダからリスボンに向かった。 離陸5時間後、オイル・プレッシャーが高く、オイル温度が低いと言うめずらしい異常警告が鳴った。 地上の整備士のアドバイスもあってCPUのエラーだと考え無視した。 5分後に右側の燃料タンクのレベルが低いと言う警告が出た。 クルーはクロス・フィード・バルブを開いて左右のタンクをつないだ。 実は右側第二エンジン付近から燃料が漏れていたのだ。 副操縦士は計算を繰り返し異常な燃料の減少が始まった事に燃料漏れではないかと訴えたが、機長はCPUのエラーではないかと考えた。 副操縦士は燃料を移送しても右側タンクの燃料量が増えないことに燃料漏れを疑った。 客室乗務員が窓から翼付近を目視したが、夜なので何も見えなかった。 機長も事態の悪化に気がついた。 ダイバートを決意した。 300Km離れたアゾレス諸島の空軍基地が最も近かった。 25分後、燃料は減り続けるので機長はエマージェンシーを宣言を決意。 空港から250Kmの地点で右エンジンが停止。 13分後、空港まで175Km、高度9100mで残りのエンジンも停止し、グライダーとなった。 ラム・エア・タービンの発電だけで最少限の低機器だけ動作していた。 (5Kmで300m降下なので計算ではなんとか空港に辿り着ける) 時速260-340Kmの間で着陸しなければならない。 機体を45度傾けて旋回飛行をして速度を落とした。 フラップなし、リバーサーなし、スポイラーなしで370Kmの速度でハードランディングした。 フット・ブレーキを必死で踏んでタイヤを8本バーストさせながら無事停止できた。 調査の結果右側エンジン付近で細い油圧パイプが太い燃料パイプに擦れ、穴が開き亀裂ができ燃料が漏れたと判明した。 整備j記録を調査するとエンジン交換の際に油圧ポンプにつなぐ油圧パイプの交換分品がないために代用品を会社の指示でとりつけたが、それが原因で燃料パイプに触れる事になったと推測された。 |
306人全員無事 |
| Alaska Air 261 |
2000/1/31 |
|
MD83 |
メキシコからサンフランシスコ向けの同機は、離陸後まもなく機体の異常に気づく。水平安定版がうまく動作しない。 しかし飛行中に解決できると考え飛行を継続した。 APを解除して操縦かんを力一杯引かねばならなかった。 地上に連絡するが助言が得られない。 サンフランシスコに近づいて来たが、安定して降下できるか不安であった。 そこで再び水平安定版が動かないかとモーターのスイッチを入れた途端に機は垂直降下を始めた。 2400m垂直降下してやっと水平を取り戻したが機体の制御は困難だった。スピードが落ちなかった。 水平安定版が機首を下げようとするので、力いっぱいエレベーターを上げなければならなかった。 ロスアンゼルス空港に緊急着陸をする事にした。 高度5500mで突如異変が起きた。 急降下を初め機首を真下にしひっくり返りながら落ちて行った。 飛行中で警戒していた他機がすべてを見て報告してきた。 機は海に墜落した。 推進200数十メートルの海底から回収されたCVRには乗客たちの凄い悲鳴と、最後まで声を掛け合って操縦を取り戻そうとするクルーの声が録音されていた。 水平安定版のスクリュー・ジャッキからナットは外れていた。 スクリューにはナットのねじ山が削り取られ金属ワイヤー状になったものが絡み付いていた。 機長が繰り返しモーターのスイッチを入れ、最後は予備のモーターまで動かしたのが最悪でナットは外れたと推定された。 スクリューの両面にはグリスの跡がまったくなかった。 アラスカ航空の他機を調べたら34機もスクリュージャッキの交換が必要な事がわかった。 同社では整備記録を改ざんし、整備を怠っていた事が明らかになった。 定期点検の間隔を延ばすなどの組織的な不正が暴露された。 一方で、機体の設計上の問題も指摘された。 スクリュー・ジャッキにはバックアップのメカニズム無いのが問題だ。 しかしメーカーは適切に整備されていれば問題はないとして、現在も同型機は世界で飛んでいる。 |
88人全員死亡 |
| Aloha 243 |
1988/4/28 |
ハワイ上空 |
737 |
ハワイ島からオアフ島への短距離フライトの737型機は8万9千回と言う世界第二位の離発着回数を持っていた。 離陸20分後巡航高度FL240に達した。 突然場爆発音と共に前部胴体の上半分が吹き飛び、急減圧をした。 凄い風が吹き荒れ、操縦クルー同志は会話もお互いに聞えなかった。 マイナス45度の高高度の気圧の低い風が時速450Kmで全員を襲った。 マウイ島のカプリ空港が一番近かったのでエマジェーンシーを宣言し緊急着陸を告げた。 機体は床だけでコックピットと繋がっており、下側に過ごし曲がった状態であった。 アプローチを続けるが油圧装置がおかしくて操縦かんがかなり重たかった。 キャビンとのコムは通じないので、後ろがどうなっているかわからなかった。 ギアを下ろしたが、フロント・ギアが緑に点灯しなかった。 破損した機体で滑走路をローパスして確認してもらうにはリスクが大きかったのでそのまま着陸を決行した。 機体に負担を掛けないためにフラップは5度で高速進入を決意した。 見事に着陸に成功した。 客室乗務員一人だけ姿がなかった。 7万5千回、20年間の飛行に耐えられる設計をされている737は既にその限界を超えており、離着陸回数の多さで胴体の金属疲労があったものと推測された。 リベットのあった穴にヒビが入っていた。 リベットと同時に金属板の接合部に塗布されていたエポキシ接着剤が完全ではなかったために、最後に更にリベットに負担がかかり、ひびが一気に繋がったものと考えられた。 特に初期の737型機はエポキシ接着剤が環境によって不良になることはボーイング社から通達されていた事項だった。 乗客のひとりは搭乗時にボディの接合部が少しはがれているのに気がついていた事が後でわかった。 |
94人の内1人死亡 |
| ALW 301 (Birgen Air) |
1996/2/6 |
Dominica付近の大西洋 |
757 |
離陸滑走中に80ノットの副操縦士のコールに対し、自分の速度計の異常に気づいたがそのまま離陸した。 離陸後一旦機長の高度計は正常に戻ったかに見えたが、またおかしくなった。 副操縦士の高度計とも一致していなかった。 APに切り替えたところ、それから機体は制御がおかしくなり、つぎつぎに警報が鳴った。 何が問題なのか全く把握できなかった。 ラダー・トリム・レシオ警報も鳴った。 コンピューターが矛盾に悲鳴を上げた警報だ。 APは最後は自動解除されたが、機長は機体の制御を取りもどす事はできないまま急降下、海に激しく墜落した。 深海から潜水艇を使ってCVRとFDRを回収した。 上昇角15度と言う異常な角度で上昇していた。 対気速度は異常に速く明らかに指示がおかしかった。 待機速度到着便が遅延した為に3週間前から駐機してた機体を代替使用していたものだった。 整備士に確認すると、駐機中はピトー管にカバーしていなかった事がわかった。 その為にドロ蜂などの虫がピトー管内に入って巣を作り詰まっていたと推定された。 その為速度検出が狂いAPが異常動作をしたものだった。 APは速度が速いと判断し設定限度ぎりぎりまで機首をあげたのだ。 警報が速度超過を発したため、機長はスロットルを戻してしまった。 するとスティック・シェイカーが作動し速度が遅い失速するとの警報が始まりAPが解除された。 交代パイロットがADI!ADI!と叫び、機長が機首上げ姿勢に気づくように知らせたし、副操縦士も機首を下げてと声を上げたが、自分が操縦かんを押すことはなかった。 年齢差が大きく機長にはそれ以上アクションは起こせなかったと見られた。 この事故を契機に警報システムが色々改修され、何に問題があるのかわかりやすいようにした。また機長がAPに使うピトー管を自由に選択できるように改修した。 |
189人全員死亡 |
| American 96 |
1972/9/12 |
Detroit, U.S.A. |
DC10 |
New Yorkに向かってまだ登場したばかりのDC10が離陸後間もなく急に衝撃があり客室の床に穴が開いた。 推力が失われ急降下を始めた。 方向だが右を向いたまま動かなくなった。 昇降だの反応もにぶくなったのでスロットルを併用するしかなかった。 Detroit空港に緊急着陸に備え速度をおとすと降下率が倍くらい大きくなるため、速度は落とせなかった。 時速300Kmで滑走路に突っ込んで行った。 終端300m手前でなんとか停止することができた。 機体の損傷は貨物室のドアだった。 貨物室に積んでいた棺と貨物室のドアが空港から30Km離れた地点に落下しているのが発見された。 DC10の貨物室のドアは内部の収納スペースを広くする為に外開きになっていた。 その為にロックするラッチ装置があったが、それがちゃんとピンが止まってなかった。 貨物職員に確認したところ、ラッチがうまく合わなかった為、荷物係はひざでむりやりレバーを押し下げたと説明した。 つまりピンがちゃんと通ってなくても無理矢理レバーを動かそうとすれば動いてしまうと言う事だった。 貨物室のドアが吹き飛び、客室の床が減圧で陥没し、床下の操縦制御ケーブルが破壊されたことがわかった。 明らかに機体の欠陥であった。 2年後パリでTurkish Air 981便のDC10が同じような事故を起こし、離陸9分後に墜落して346人全員が死亡した。 American 96便の後、ダグラス社がNTSBの勧告に従い貨物室のドアの機構を改善していると考えられていたが、発見した貨物室のドアを調べると全く同じ問題が発生しており改良された痕跡はなかった。 NTSBには強制力がないことが事態を招いた。 ダグラス社は覗き穴をつけて貨物係がピンの状態を確認できるようにしたりと改善はしたが、荷物係には良く理解されていなかった。 その後の裁判でダグラス社は事故前からリスクを実験で確認していることが明らかにされ、ダグラス社は巨額の和解金を払うことになった。 連邦航空局は耐空性改善命令を出し、やっと本格的な改良が行われることになった。 しかしその後売上は落ち、信用は失墜し1996年にボーイング社に買収された。 |
67人全員無事 |
| American Air 1420 |
1999/6/1 |
Little Rock, Arcansas, U.S.A. |
MD82 |
運行遅延であと1時間以内に離陸しないと規則でキャンセルしなければならない状態に追い詰められていた。 到着地のLittle Rockは嵐が予想されていたので急がなければならなかった。 到着地に近づいてくると機上レーダーで確認できた。 運行管理者は現在の到着地の気象情報をクルーに送った。 情報から確認できる事は2つの嵐の間に隙間があるというもので、クルーは早くそこを通過しようと考えた。 前方に稲妻が見えたが機上レーダーでは真ん中の嵐の間の回廊に向かっていたので安心していた。 一方Little Rock空港のレーダーは稚拙でクルーに対して現地の情報が遅れなかった。 管制官からウインドシア警報が送られて来た。 機は旋回してウインドシアに向かって風下から着陸する事にしたが、その為着陸は遅れ、雷雲への監視が的確にできなくなった。 嵐が空港に近づきかなり状況が厳しくなった。 機長は空港を視認できず(副操縦士は視認。あそこあそこと教える)、管制塔に誘導を依頼。 それで更に着陸が遅れた。 終に嵐の中央に突入することになった。 視界は限界ぎりぎり。 その中ウインドシア警報がまた出た。 更に視程が基準を下回った。 激しい横風の中、滑走路に設置したがスライディングを始め減速ができなかった。 機は滑走路をオーバーランして荒地で大破して、まもなく炎上を始めた。 FDRによるとスポイラーは使われてなかった。 CVRにもスポイラーをセットする音は録音されてなかった。 これは致命的なミスだった。 滑走路が濡れている時の着陸時の横風の限界は5mだが、機はその規則を守っていなかった。 このような状況では着陸をあきらめてダイバートするのが常識だった。 しかし、航空会社も明確な嵐の際の回避規定を設けていなかった事や、目的達成へのプレッシャーを与えていた側面も問題視された。 |
145人の内11人死亡 |
| American Air 191 |
1979/5/25 |
Chicago, U.S.A. |
DC10 |
離陸直後左エンジンのパワーが失われた。 急に左に大きく傾き横倒しになり、離陸から1分足らずで空港の端の格納庫に墜落大破炎上した。 管制官が離陸直後に左エンジンがパイロンごと外れて飛び去ったのを目撃していた。 ボイスレコーダーは左エンジンから電源が供給されていたので、途中で切れていた。 米国内のDC-10は全て飛行禁止となり、外国機の米国上空の飛行も禁止された。事故の8週間前に左エンジンをはずして修理が行われていた。 破壊されたパイロンに金属疲労が見つかった。エンジン修理の際はパイロンからたくさんのボルトを外してエンジンをはずすのが正しい手順だったが、パイロンごと外せば僅かなボルトで済むので簡単なので手抜きで整備が行われていた。 しかしその為重たいエンジンのぶら下がったパイロンを正しく翼に取付けるのは無理があった。 フォークリフトで取付けるため傷をつけやすかった。その傷から金属疲労が始まったと推定された。 パイロンが破壊したことでスラットの油圧系統が破壊され、失速状態になったと推測された。 電気系統がすべて落ちたので失速警報も鳴らなかった。 鳴っていれば墜落は回避された事がシミュレーターで証明された。 この時はリリック中のエンジン喪失時の手順に従ったので失速対応とは逆に機首上げしてできるだけ高度をあげようとした事が墜落させた。 これを機会にDC-10に多くの改善命令が出された。(電源、油圧系統の複数化、その他) |
271人全員と地上の2人死亡 |
| American Air 965 |
1995/12/20 |
Cali, Columbia |
757 |
クリスマス直前で混雑するマイアミ空港から1時間遅れで離陸しコロンビアのカリに向かって飛び発った。 良く晴れた夜で視界は10Km以上あった。 カリへのアプローチを始めた。 100Km手前で降下を始めた。 谷間にある無線ビーコンをたどって山に囲まれたカリ空港に着陸しなければならない。 一方カリの管制塔はゲリラにレーダーを破壊されており、航空機の位置を知ることはできなかった。 機長は管制官との通信で誤解をして、途中で通過すべきポイント(TULUA、ROZO)を消去してカリに直行とFMSに入力してしまった。 直前になって管制官から進入滑走路を尋ねられ、まっすぐ早く進入できる滑走路を選択したが、その為に通過しなければならないポイントは既にFMSから消去してしまったので、管制官に最後のVORであるROZOに直行して良いか尋ねた。 許可が出たのでROZOを目指したが、そのポイントの入力を間違って他のVORを選択してFMSに入力してしまった。 ついにクルーはコースを外れているのに気がついた。 改めて最初のVORであるTULUAを入力したが既に迷子になってしまっていた。 不安になってROZOを改めて入力した。 しかし既にコースを外れていた同機は最終ポイントとの間にある山岳地帯に突っ込んで行った。 最後は地表接近警報が鳴り急上昇を試みたが、適用中だったスピード・ブレーキを格納するのを忘れていた為十分に上昇ができず、山の頂上近くに衝突し、尾根を乗り越えて反対側に飛び散って大破した。 火災は発生せず、奇跡的に4人生存者がいた。 墜落から8時間後にやっと発見され救助された。 幾つもの規定を守らずに操縦を続けた2人のパイロット・エラーだった。 |
163人の内159人死亡 |
| Arrow Air 1285 |
1985/12/12 |
Gander, Canada |
DC8 |
Gander空港を離陸するも高度が上がらず、すぐに墜落した。 帰省軍人のチャーター機だったので一人当たりの重量計算値が通常を上回り過重量となっていたのに加え、翼に着氷していたと思われ揚力不足となり失速したものと推測された。 旧式のフライトレコーダーしかなく、ボイスレコーダーは故障していた為、事故原因の特定を巡っては意見が別れた。 |
256人全員死亡 |
| Asiana214 |
2013/7/6 |
San Francisco |
777 |
San Francisco空港に着陸進入中の777が異常に低い高度で進入を続けたまま滑走路手前の草地に尾部をぶつけ機体は大破した。 その日はグライドスロープが滑走路の工事中の為停止されていたので、もともと着陸が難しい同空港で管制官から急降下を伴う進入を要求されていたた。 誰に出も出来る着陸であった。 操縦の経験がほとんどない(飛行時間1万時間を超えていたにもかかわらず)機長は、ゴーアラウンドに備えるつもりで意図しない3000フィートまでの高度変更モードのAP設定を行った。 当然機体は降下をしないので、機長はスロットルをアイドルまで絞ってしまった。 その結果777のオートスロットルは解除された。 機長はもしパワーが絞りすぎになってもオートルロットルが面倒をみてくれると思っていた。 最後になってフルパワーで上昇を試みたが、既に遅く、尾部を激しく地面にぶつけ、機体尾部は吹っ飛んだ。 前方機体は滑りながら回転をしてやっと止まったが炎上した。 機長は一連の不可解な操作をする時に基本であるコール・アウトはせず、副操縦士との連携は全くなされていなかった。 |
307人の内3人死亡 |
| Atlantic Airways 670 |
2006/10/6 |
Stord Airport, S?rstokken, Norway |
BAe146 |
着陸時に減速できず、オーバーランして滑走路先の崖から斜面に突っ込み炎上。 片側のエンジンが停止できず危険な状態であった。 機内が燃え上がる直前に危機一髪で多くが脱出できた。 コックピットクルーは無事だった。 滑走路には溝が彫られておらず濡れていた。 スポイラーの作動装置をレントゲン検査するとスポイラーが動作していなかったと判明した。 (滑走は1200m長でスポイラーは不要) 実際、機長はスポイラーを作動させようとしたがだめだった事、またブレーキが利かなかったとの証言があった。 滑走路のスリップ痕を良く調べるとタイヤのゴムの破片と薄い色の茶色い痕跡があった。 CVRを確認すると弱い追い風で着陸した事がわかった。 焼けた機体の残骸からランディング・ギアのタイヤがあったが、一部が溶けていた。 摩擦でゴムが溶けると水蒸気の膜が滑走路との間にでき、ハイドロプレーニング現象が起きるとのメーカーの見解があった。 滑走路に残った通常より薄いタイヤ痕はその為とみられた。 CVRの分析から非常用ブレーキを使った直後にタイヤ音が聞えた。 この機体にはアンチスキッド装置が搭載されていなかったのだ。 |
16人の内4人死亡 |
| Atlantic South East 529 |
1995/8/21 |
Atlanta |
エンブラエルEMB120 |
小さな町を結ぶローカル機は離陸後まもなく大きな爆発音と衝撃が襲った。 左のエンジンが爆発してカバーが剥がれているのが乗客から良く見えた。 オートパイロットからマニュアル操縦に切り替えるが、急速に効果。 エンジンオイルの煙が機内に侵入した。 左のプロペラをフェザーにしようとした時火災警報がなり機体は左に傾いた。 機体を水平にするのが難しかった。 機体の降下は続いた。 アトランタに引きかえすことにした。 高度は4000mを切っており、降下が続いているのでアトランタまでは戻れないと判断した。 West Georiga空港を目指した。 しかし降下が続くのでWest Georgia空港までも辿り着くのは無理だった。 有視界飛行で最短距離で滑走路に下りようと考えたが雲を抜けてから降下速度は急に増加した。空港まで6Kmで林の上に胴体不時着をした。 機体は大破したが奇跡的に全員生きていた。 しかし燃料が漏れており火災発生は目前だった。脱出が遅れた乗客を中心にひどいやけどを負うことになった。 皮膚が焼け落ち肉が崩れ去った乗客もたくさんいた。 コックピット内に閉じ込められた機長は意識が戻らず唯一人死亡した。 プロペラの金属疲労でプロペラが分解し、それがエンジンを大破させたものだった。 同様の分解事故は過去2回あった。 プロペラが折れた位置も同じだった。 プロペラ内部に詰められたコルクに含まれた塩素が金属腐食の原因だった。 プロペラの製造会社の責任が追及された。 |
29人の内10人死亡(病院で死亡した5人を含む) |
| Avianca 052 |
1990/1/25 |
New York, U.S.A. |
707 |
J.F.Kennedy空港は天候が悪く離発着便は大きく乱れていた。 北東部一帯が同じような天候であり、安全基準を超える毎時33機の着陸受け入れをWashigton DCの管制官は空港に命じた。 コロンビアからニューヨークに向かったAvianca機は、2時間分の余裕のある燃料を積んで離陸した。 NY近辺では多くの航空機が空中待機を命じられ旋回を余儀なくされていた。 同機はNYや代替空港のBostonの天候も確認せずに飛び立っていた。 同機もNYの南で旋回待機を命じられた。 19分後NYに向かうように指示された。 やがて予備燃料に切り替える事になった。 BOSTONダイバートを検討し管制官に尋ねたが、管制官は回答を失念した。 かなりたって再確認した時にはbOSTON 一方管制官からJFK近くで旋回待機するより新たな指示が出た。 やっと進入許可が出た。 しかし先行機がミストアプローチを繰り返し、再び待機を命じられた。 最後に20分待てと言われたときに燃料がないことを伝え優先してくれと訴えた。 機関士があと5分しか燃料がないと計算した。 次の管制官に引き継がれた時にはその燃料漏れの情報が引き継がれなかった。 ウインドシアがあるので旋回しろと伝えられた。 初めて知った悪天候だった。 機首上げすると燃料がエンジンに回らないので注意するように機関士が機長に告げた。 最終進入許可が出た。 4Km手前で燃料は10分分残っていたがウインドシアが襲った。 しかも悪天候で滑走路が視認できなかった。 仕方なく貴重な燃料を使ってパワーオンにしてミストアプローチした。 それまでに何人も管制官が代わったが、また管制官が他の管制官に引き継がれた。 24Km離れて再進入するよう指示された。 ついに燃料が切れ掛かり始めた。 次々にエンジンが停止した。 ついに空港から20Kmの地点の住宅地に墜落した。 「エマージェンシー」は宣言せずに「優先してくれ」との依頼が悪いとされた。 しかし燃料切れを宣言しているのだからと世論に押され、航空管制当局が4割の賠償金を負担することになった。 |
258人の内73人死亡 |
| BEA 548 |
1972/6/18 |
London, England |
Trident |
ヒースロー空港を離陸、90秒後に騒音抑制の為パワーを下げた。 その後速度が落ち、機体が失速急降下し、機首上げのまま急角度で空き地に墜落し大破した。 CVRはまだ義務化されていなかったので搭載されていなかったが、FDRは搭載されていた。 イギリス製ロールスロイスのエンジンを積んだイギリス独自の航空機なので、調査へのプレッシャーは大きかった。 分析の結果、エンジンには異常なし。 速度も大して遅くなかった。 機体の残骸調査からDROOP(翼前縁のフラップ)が格納位置になっていた事が判明した。 年配の機長と他のクルーとの間にはジェネレーション・ギャップ的な壁があり、雰囲気は良くなく、後部座席に予備要員が座ったサイドテーブルには機長を罵る落書きがあった。機長は登場前に労働争議を起こしているクルーと激しい喧嘩をしていた。 管制塔との交信記録に残った機長の通信は短く不適切な送信が多かった。 正常ではなかった。 機長の遺体の検査から心臓冠動脈に重い閉塞が発見された。 通常の健康診断では発見できないものだった。 心不全が発生し、更に注意力や思考力が低下し、おそらく機長がDROOPを格納してしまったものと推測された。 副操縦士はトライデント機の経験がわずか30時間しかなかった。 |
118人全員死亡 |
| BOAC781 |
1954/1/10 |
Rome, Italy |
デハビランド、Comet |
高度11,000mを巡航中のComet機が突如空中分解して海に墜落し全員死亡した。 ほとんどの遺体が肺にダメージを受けていた。 また頭の陥没は生前のもので、体中の骨折は死亡後の物と診断された。 事故直後は全Comet運行が禁止されたが、莫大な損失を避けるために10日後には再開された。 ところが運行再開後16日目の1954/4/8、ローマからエジプトに向かうCometがやはり高度11,000mで空中分解し21人が全員死亡した。 海底まで1,000mもあり、機体の回収は不可能だった。 781便の機体回収を進め、原因を特定する事が急務となった。 集めたデブリで機体を再現したが、前方で破裂があり、後方に物が飛んだ形跡が確認された。 模型を使った実験で機体が膨張破裂し急減圧が起きた場合、同様な遺体の損傷が起きることを確認した。 実機を水槽に沈め、水を機内に入れたり出したりし24時間体制で機体が与圧で破壊されるか大掛かりな実験が行われた。 1ヵ月後、3,000時間分の飛行に相当する実験で機体に亀裂が発生した。 機体製造の過程でアルミ板の接合部にリベットが使われたが、それにより微細な亀裂が生じており、それが一気に破壊に繋がったと結論付けられた。 この事故でCometは改修されたにもかかわらず信用を回復することはできず、デハビランド社は数年後に他社に吸収合併され、その間に米国でボーイング社が台頭し、新たな時代が始まる事になった。 |
35人全員死亡 |
| Bristow 56C |
1995/1/19 |
北海上空 |
(ヘリコプター) シュペル・ピューマ |
Aberdeenから飛び立った北海油田への作業員運搬ヘリコプターはやがてレーダーの可視範囲を超える。 天候は急速に悪化した。 目的地の掘削基地40Km手前で天候は更に悪化。 積乱雲の連なりが目の前に立ちはだかった。 高く上に超えることはできない規模だった。 その下は真っ暗だった。 降下を始めた。 雹が降り始めた。 回転翼の警報が鳴り振動が始まったので更に高度を落とした。 落雷を受けたようでメーデーを発信した。 Aberdeenにいた僚機のヘリコプターが救援に向かった。 救難船も向かった。 突如テールローターが止まり機体が回転を始めたので、メインローターを停止した。 機体はどんどん降下をした。 不時着するとメーデーを再発信した。 僚機の56Bは必死で捜索した。 機体に装着してあるラバー・フロートを膨らまし、海面に浮く事ができた。全員救命ボートを出し乗り移った。14人乗りに18人乗った。 機体からはずしたドアの角がボートにあたり穴を開けた。 ボートはどんどん浸水してきた。 56Bがやっとボートを発見し、船を誘導するまで1時間上空にとどまってくれた。 全員無事に救助された。 海底に沈んだ56Cの機体を引き上げての原因調査が始まった。 テールローターには明らかに落雷の跡があった。 300億ワットの大電力が放電された事が実験で証明された。 それまでに予想された雷をはるかに上回る規模だった。 シュペル・ピューマの回転翼にはカーボン繊維が使われており、それを囲む金属フレームとの組合せ構造が落雷による破壊を起こしやすくしたと推定された。 しかしそれが正しいとなるとA380をはじめ炭素繊維を多用した最新のジェット機の危険性を疑わなければならなく、航空界の反応は否定的であった。 |
18人全員無事 |
| British Airtours 28 |
1985/8/22 |
Manchester Airport, England |
737 |
離陸中に左エンジン爆発し炎を吹き出したので緊急停止。 オーバーランもせず停止できたにも係わらず、前方右側ドアが中々開かず最初は危険な前方左ドアだけ使用、脱出に手間取った。 機内には黒煙が満ちて視界はほとんどなく、手で触れるほどの濃さの煙が乗客を襲った。 エンジン内部に8つある筒型燃焼管の一つが破壊し、翼を破って穴を開け、燃料が噴出し火災が発生したものだった。 1年前に定期検査で燃焼管に長い亀裂が発見された為、溶接で修理した。 その後エンジンの加速が悪いなどのレポートが多かったが、プラットアンドホイットニー社のマニュアルには燃焼管の不良につながる原因は示されておらず、エンジン調整をして使い続けた。 この修理不適が原因となった。 停止する時に滑走路を塞がない様に誘導路に入ったが、その結果風向きが炎に機体をあぶらされる事になり、大火災につながった。 機内で死亡した乗客の死因はやけどは一部で、ほとんどが有毒ガスを吸引した事だった。 旅客機は90秒で全員脱出する事が定められていたが、この事故では90秒の時点では多くの乗客が機内に残されていた。 濃い煙と狭い通路が脱出を阻んだ。 737の通路にはバルクヘッドの部分に幅57cmのボトルネックとなる部分があった。 この事故後76cmに拡張され、床面を照らす照明が加えられる設計変更が行われた。 また右側ドアが開かなかったのは、急いで開けようとすると脱出シュートが膨張を始めて引っかかってしまうのが原因であった。 このドア・メカニズムも設計変更された。 |
137人の内55人死亡 |
| British Airways 38 |
2008/1/17 |
London, England |
777 |
アプローチ中滑走路3.2Km手前でエンジン2基共パワー喪失。 フラップを5度戻しなんとか滑走路300m手前の芝生に激突ランディング。証拠物が全て揃っているにも係わらず1年経っても原因究明できず。FOHE(燃料熱交換器) DELTA航空777型機で同様のパワー喪失事故がヒント。 長時間一定速度で飛行後急にパワー増する事で燃料流量が増加すると、「超低温からマイナス20度以上に上がった事により燃料パイプ内に粘性を増して凍結した燃料」が堆積したものがはがれ、FOHE内のフィルター・パイプの温まっていない部分に付着して流れを阻害する事が判明。(温まってない部分がなければ溶けるので問題ない) フィルター・パイプの先端がわずか数ミリ平らに揃ってなかった事が原因。 この後全ての航空機で改善命令。 |
152人全員無事 |
| British Airways 5390 |
1990/6/10 |
Birmingham, U.K. |
BAC1-11 |
バーミンガムからスペインのマラガに向け離陸13分後、機長席側の窓が吹き飛んだ。 機内は霧が立ち込め機体は急降下をはじめた。 機長は窓の外に脚を残して窓の上の機体に張り付いた。 機長の足が操縦かんにひっかかっていた。 男性客室乗務員が機長に気づき、足にしがみついた。 -17度に時速600Kmを超える風に機長は耐えた。 副操縦士は必死に期待を制御しようとした。 他の客室乗務員も助けに入り、機長の足を操縦かんからはずして機長を支えた。 副操縦士は新任だったし、地図は機長と共に外に飛んでしまったので管制官の指示で近くの空港に緊急着陸をする事ににした。 満タンの燃料で1800mの短い滑走路へ難しい操縦をひとりでやらなければならなかった。 事故から22分後に無事に着陸できた。 機長は意識不明で絶望しされたが、奇跡的に意識を戻し数日掛けて記憶を取り戻し全快した。 この機体は前日に機長関側の窓ガラスを交換していた。 地上に落ちた窓ガラスが発見され、使用されていたボルトの直径が小さい事が発見された。 一般的に窓ガラスは内側から止めるが、1-11機は外側から固定する構造だった。 整備士が保管していたはずしたボルトが残っていたが、明らかにサイズが異なっていた。 確実な証拠だった。 |
| British European 609 |
1958/2/6 |
Munich, Western Germany |
Airspeed AS-47 Ambassodor (Elizabethan) |
イギリスの超人気サッカーチームManchester Unitedのメンバーを乗せた機は2度左エンジンがオーバー・ブーストして離陸中断してターミナルに戻った。 点火を遅らせるようにパワーを一旦落として加速するようにメカニックからアドバイスを受けた。(この機特有の癖だと考えられていた) わずか5分後に際離陸を試みた。 V1を超えてから急激にパワーが落ちたが滑走路内に停止できず燃料庫に激突炎上。 生き残った機長に対し翼の除氷をしなかったからだとドイツ側が強力に責めた。 機長はその後独自で調査を開始。 滑走路上に積もった雪(スラッシュ)の抵抗を受けたと推測した。 徐々にパワーを上げたため、他の機より長く滑走路を使ったからだった。 乗客が救助の時に翼に登ったが雪や氷はなかったとか、管制官が滑走路の後半にスラッシュがあったと言ったとかの有益な証言はすべてドイツ側によって無視・除外されていた。 また実験で消化剤(重炭酸ナトリウム)は氷点を下げることがわかった。 最終的にイギリスのウィルソン首相が理不尽だと批判。 イギリスは再調査した有力な証言もあり、ドイツが捏造したと証明しイギリス政府はスラッシュが原因だと断定した。 機長の名誉は挽回したがドイツは認めなかった。 |
44人の内21人死亡 |
| British Midland Air 92 |
1989/1/8 |
London, U.K. |
737-400 |
ヒースロー空港離陸後35000フィートへ上昇、離陸13分後機体に振動が始まった。 匂いがした。 どちらかのエンジンが異常を示したが振動の中、左右を見間違って正常な右エンジンのスロットルを絞った。 振動は止まったが煙が止まらないようなので最寄の緊急着陸をする事にした。 火災を避けるため右エンジンを停止した。 着陸態勢に入り残りのエンジンの出力を上げた。すると前よりひどい振動が始まった。左のエンジンが故障を示していた。 火災発生を知らせた。 唯一のエンジンも喪失した。 滑走路まで距離があり、失速警報まで鳴った。 滑走路1km手前の土手に墜落した。 機体は大破した。 FDRとCVRの解析から、副操縦士が問題の発生したエンジンの左右を見間違ったと推定された。 最初に問題が起きた地点の農地にたくさん落ちていたエンジン・ブレードの破片から金属疲労の痕跡が見られた。その為にアンバランスが生じ振動が始まったと見られた。、 そのブレードの精密分析から左エンジンのブレードとわかった。機長の事情聴取で、機長も右エンジンが原因と確信していた。 空調は右エンジンで動いており煙の匂いがあったからと説明した。(改良型の当機は両方のエンジンで動いていた) 右エンジンの出力を下げた時に振動が止んだが、その直前副操縦士はオートスロットルを切っていた。(右スロットルを下げる為に) その為に左エンジンの出力も下がった為に振動が収まった。 それを理解せずやはり右エンジンが原因だったと確信させた。 着陸前の計器チェックを完全に行っていれば左エンジンが異常な振動を既に示しているのに気づくことができたが、管制官からの通信でそれを中断したままだった。 両クルーは生存したが、事故後懲戒免職された。 |
126人の内47人死亡 |
| BTC 2937 & DHL611 |
2002/7/1 |
ドイツ上空(ユーバーリンゲン) |
757とツボレフ(Tu-154M) |
ドイツ上空で旅客機が空中衝突し、両機の全員が死亡した。 MoscowからBarcelona行きのバシキール航空のチャーター機ツボレフの副操縦士は操縦士を評価するために搭乗したベテランのパイロットだった。 一方イタリアのBercamoからDHLの貨物機757がBrusselsに向かった。 Zurichの管制センターでは交通量が少なかったので担当官が長い休息をとり、1人の管制官が2つのレーダーを監視していた。 また同時にレーダーのメンテナンス工事が入り、レーダーの反応が2分程度遅れる状態になっていた。また電話システムのメンテナンスも開始され予備回線しか使えなくなった。 2機が管制官の領域に入って来た。 757がツボレフと同じ高度FL360への上昇をリクエストし、管制官はそれを承認した。 領域に次々に他機が入って来たので対応もしなければならずオペレーションが輻輳して来た。 この日はレーダーの衝突警報装置はメンテナンスのせいで作動していなかった。 ドイツの管制官は衝突の危険性に気づき、スイスの管制官に電話しようとしたが、メンテナンス中で通じなかった。 一方ツボレフのTCASは衝突警報を発した。 757のTCASは警報を発していなかった。 ツボレフは混乱したが高度差があると思っていた。 その後757のTCASも警報を発し、またスイスの管制官も気がついた。 管制官はツボレフに対し降下を指示した。 ところがツボレフのTCASは上昇を指示した。 ツボレフはそれに従った。 管制官はそれで衝突は回避されたと考えたが、757のTCASも降下を指示していたので、757も降下を始めた。 遂に2機は衝突、757の尾翼がツボレフの胴体を引き裂く形だった。 ツボレフは全員一瞬にして気を失ったと推定されたが、757はその後2分飛行し、7Km先に墜落した。 民家はたくさんあったが、奇跡的に民家には被害がなかった。 ロシアでは管制官に従う考え方が正しいとされていたし、西側諸国ではTCASに従うのが正しいとされていた。 ルールが国際的に明確になっていなかった。 2004/2/24に全家族を事故で失ったロシア人の男がチューリッヒを訪れ管制官を刺殺した。 |
ツボレフ機69人全員と757機2人全員死亡 |
| C-5A Galaxy |
1975/4/4 |
Saigon, Vietnam |
C5A |
貨物室のロックが不完全(中古交換部品装着の不適切)でドアが飛び、昇降蛇操作不能、パワー操作だけで不時着し大破。 |
328人の内153人死亡 |
| Chalk's Ocean Airways 101 |
2005/12/29 |
Miami, U.S.A. |
Grumman Mallard |
1947年製老朽水陸両用双発機が離陸後高度500フィートで主翼がもぎ取れ海面に墜落。 頻繁に起こる燃料漏れの修理に右主翼のストリンガー(内部構造材)の破損しているのにコーキング剤で覆ってしまい経過観察もしなかった。それが原因のクラックの修理がダブラー貼り付けなどで続けられた結果、ついにクラックが拡がり主翼がもげた。 |
20人全員死亡 |
| China 611 |
2002/5/25 |
台北離陸後の台湾海峡、台湾 |
747-200 |
空中分解。 22年前の着陸時尻餅事故修理が規定違反の応急的な構造修理に留め、その後も放置した為金属疲労が進行。 |
225人全員死亡 |
| China Air 006 |
1985/2/16 |
太平洋上空 |
747 |
巡航中の747が軽い乱気流に遭遇している中、第4エンジンが推力低下を起こし停止した。 フライト前に第4エンジン修理の報告を受けたときいていたのであまり気にしなかった。 再起動を試みたが始動しなかった。 そうしているうちに機体はだんだん右に傾いて来た。 速度がどんどん落ちてくるので機長はAPをはずして操縦かんを押して速度を上げようとしたが速度はかなり落ちており、直後に失速状態になった。 機体は急にきりもみ状態になり裏返しになり垂直に急降下を始めた。 雲の中で姿勢はつかみにくい状態だった。 高度12500メートルから2900メートルまで急降下をした。 機内には最大5Gがかかり、乗客の顔は蝋人形のように流れて崩れるほどだった。 航空機関士はエンジン再始動を試みるが4つとも始動しなかった。 機体は限界速度に達し貨物室のドアや機体の一部が剥がれ落ちた。 雲を抜けてやっと水平線が見え、機体の水平を取り戻した。 停止していた3つのエンジンも息を吹き返していた。 第4エンジンを始動すると無事始動した。 オークランド官制センターがLAではなくSFOにエマージェンシー着陸するか尋ねたが、平常に戻ったと回答した。 しかし油圧が不良でギアが下がったままだった。 尾翼の方向舵も動かなかった。 結局エマージェンシーを宣言し、SFOに向かった。 機体は無事着陸した。 調査をすると、機長は第四エンジンを失った時に3つのエンジンで飛べる高度におとすべきなのに、第4エンジンの再点火ばかりに執着していた。 機体が大きく傾いた時にクルーはADIが故障したと考えていた。 しかし故障はしていなかった。 機関士は急降下中に他の3つのエンジンも停止したと証言したが、FDRによると3つのエンジンは常に正常だった。 結論は機体には異常がなかった。 第4エンジンが推力が低下した時に機関士は排気弁を閉じないまま始動を試みていたが、それでは再点火するわけがなかった。 第4エンジンの喪失後、機体は右に傾いたが、その時機長は左ペダルを踏んで姿勢を修正しないでAPのまま飛んだ。 APは方向舵を操作しないのだ。 APによるエルロンだけの修正では無理であった。 機長はエンジンのことばかりに捉われていたが、それは本来機関士の仕事であった。 機長は速度ばかりに気をとられ、ADIの傾きには気づいていなかったと見られた。 最後はクルーは全員ADIが故障したと思い込んだようだった。 機関士は3つのエンジンが停止したと判断したのもミスだった。 機長が混乱の中スラストレバーを戻していただけだった。 スラストレバーを押したが高度が高く反応が遅いだけだった。 機関士席の計器をみれば異常がないのは明らかな話だった。 パイロット・エラーによる事故であった。 |
274人全員無事 |
| Continental Express 2574 |
1991/9/11 |
Texas, U.S.A. |
Embraer120 |
着陸態勢に入ろうとした瞬間墜落し地面に激突。 水平尾翼の左側前縁部(防氷ブーツ)の交換作業が前日夜間に時間に余裕が無い状態で施されたが、深夜班とシフト交代をする時の引継ぎが不完全で右側だけ処理して時間切れとなったため良しとしたが、実は左側は昼間班によって一部ネジがはずされたいた。 昼間班の監督者が業務範囲を超えて左側のネジを好意ではずしておいたが、それを昼間班の責任者は知らなかった。 トップ・スピードに近い態勢の為に降下に入った時に左側前縁が脱落し、急降下体制になり、まっさかさまに墜落した。 |
14人全員死亡 |
| Continental(Colgan Air) 3407 |
2009/2/12 |
Baffalo, U.S.A. |
Bombardier DHC-8-402 Q-400 |
Baffalo空港に着陸中、フラップを出したところ制御不能になり墜落。 速度が落ちて来たところで、警報速度設定を高めにスイッチ設定していた失速警報が早めに鳴った。あわてた機長は機首下げしなければいけないのに、機首上げをし、しかもフラップも引っ込めた為に本当に失速してしまった。 完璧なヒューマン・エラー。 機長、副操縦士ともに遠距離通勤、過密勤務で仮眠だけで乗務しており、会社の労務管理にも問題が提議された。 |
49人全員と地上の1人死亡 |
| Copa 201 |
1992/6/6 |
Darien州、Panama |
737 |
Panama CityをColumbiaのCaliに向け離陸したが、行く先は嵐だった。迂回航路をとり巡航高度25000フィートに達した数分後、レーダーから機影が消えた。 翌朝、夜中に火の玉が落ちて来たの見たと言う目撃情報が寄せらえた。 救援隊が駆けつけたが機体はバラバラに飛び散っていた。 現場は中米で最大の未開の地で調査は困難を極めた。 他機と衝突の痕跡は発見できず、爆発物の痕跡も認められなかった。 その後FDRとCVRが発見された。 CVRは事故の1週間前から故障しており役に立たなかった。 FDRは25000フィートから突如急降下をはじめ10000フィートで空中分解した事を示していた。 急降下の前に突然左右に大きくバンクをしていた。 コックピットの残骸から発見されたADIの垂直ジャイロ選択スイッチが、両操縦席とも機長側のジャイロを使う位置になっていた。 二つのジャイロのデータが一致しないとADI内にエラー表示がでる仕組みになっている。 この位置にセットしたと言う事はエラーが出たので切り替えた事を示している。 ところで機長が訓練で使っていたシミュレーターのジャイロ選択スイッチと実際の機とは異なっていた。 シミュレーターのスイッチをその位置に回すと、機長側のADIは独立した予備のジャイロに接続されることになっていた。 ジャイロに問題があると表示が出たので機長は訓練どおり予備のジャイロに切り替えたつもりだったが、実際は両方のADIに、機長側のジャイロが接続されたのだ。 ところが実際に不具合が発生したジャイロは機長側だと見られた。 にもかかわらず姿勢修正操作を始めたことになる。 ところで回収したADIを調べてみると機長側のADIの配線が切れ掛かっていて、ジャイロが動作してもADIが時々引っかかって表示されていた。それがFDRに記録されていたと見られた。 そのたびに修正しようと異常に大きな操作したために修復不可能なほど右バンクをし墜落したと結論付けられた。 |
47人全員死亡 |
| Cross Air 3597 |
2001/11/24 |
Zurich, Switzerland |
BAe146(Avro 146) |
VOR-DME方式でミニマム1000feetで滑走路が見えないまま降下を継続し、最後にGAしたが既に遅く滑走路4Km手前の丘に激突。 パイロット・エラー。 経験は永いがミスが多い無能パイロットだったが、パイロットとして雇われていた。 |
33人の内24人死亡 |
| Cross Air 498 |
2000/1/10 |
Zurich, Switzerland |
Saab340B |
チューリッヒ空港を離陸後管制官の指示に基づき左旋回をしようとしたが右に旋回をする。 必死に左旋回を試みたが右旋回を続け猛スピードで急角度で地面に墜落大破炎上した。 ブラックボックスの分析から、エンジンなどの異常は確認されなかった。 残骸の機長のバッグから向精神薬が発見された。 遺体からも成分が検出された。 ロシア人のパイロットが訓練された旧ソ連の施設の聞き取り調査で、ADIの表示が西欧と異なっている事がわかった。 機長はバンクが大きくなりADIから指標が消えた(見やすくするためにそうなっている)時に、違う!と声を発していたが、指標が動くロシア式のADIとその時に混乱が生じた可能性があった。 またロシア式ではオートパイロットをできるだけ使わない傾向があった。 この事故時も自動操縦を使っていなかった。 副操縦士は最後に気付いて左だ!左だ!と叫んだが、それが左に傾けろと言っているのか、左に傾いてしまっていると言っているのか、英語を使っていた外国人クルーの間でコミュニケーションが十分でなかったと推測された。 パイロット・エラーが原因した事故と結論付けられた。 |
10人全員死亡 |
| Delta Air 191 |
1985/8/2 |
Dalas, Texea, U.S.A. |
L-1011 Tristar |
気温38度のDalasにアプローチ中。 空港は混雑していた。 管制官から指示された着陸コースは機上レーダーから見ると嵐があり、拒否した。 迂回の許可が与えられた。 管制官は前方のリアジェット機との距離を空ける為に減速指示を出した。 空港30Km手前で前方に嵐雲が見えたがそのまま進行した。 150ノットに減速指示が出た。 雨の中を順調に飛行。 フラップとギアを出した。 前方で雷が発生していた。 高度1000フィート。 管制官は気象警報を出してはいなかった。 前の小型機は無事着陸した。 1分遅れで飛行していたが急に嵐が激しくなった。 高度180mで急降下を始めた。 フルパワーで上昇を試みて一旦回復したが、また降下をはじめ右に傾いた2Km手前で高速道路に突っ込んで車をエンジンで引っ掛けた。 いったん空中に戻し滑走路の途中に接地したが横転してタンクに突っ込んで木っ端微塵に大破炎上した。 尾部だけは助かった乗客がいた。 機体の調査で操縦システムに異常は発見できなかった。 翼の静電気放電器に痕跡はなく、落雷のせいでもないと判明した。 FDRの調査から風向きが前後上下と激しく変わっていた事が判明した。 マイクロバースト(雷雲から地上に激しく降り降りる強風)に遭遇したと結論付けられた。 機長はマイクロバーストの可能性を知っていたが、逃げるための速度と高度がなかった。最後はゴーアラウンドをしようとしたが無理だった。 空港のレーダーに着陸直前に嵐がはっきり映っていたが、担当者は休憩中だった。 この事故後ドップラー・レーダー(雨の量を見る普通のレーダーではなく、風の動きを検知できる)が危険な空港に設置されるようになり、また機上様のドップラー・レーダーもすべての航空機に標準装備されるようになった為、1964年以降26機の飛行機を墜落させたマイクロバーストによる事故は、この事故が最後になった。 |
163人中136人と地上の1名が死亡 |
| Eagle 4184 |
1994/10/31 |
Chicago, U.S.A. |
ATR72 |
着陸待機旋回中、翼に着氷し主翼前縁部除去装置がONされたが主翼後部に着氷しやすい構造上の欠陥の為、着氷が生む乱気流で補助翼を動かし、操縦不能に陥り墜落。 |
68人全員死亡 |
| Eastern 401 |
1972/12/29 |
Florida, U.S.A. |
L1011 Tristar |
マイアミ空港にアプローチ中、ギア・ダウンしたがノーズギアのダウン表示ランプが点灯しなかった。 クリスマスツリーと呼ばれるすべての表示ランプ点灯テストを行ったが点灯しない。 機は空港を離れ、待機旋回をしながら対処にあたることにした。 高度2,000フィートを維持するようオートパイロットに切り替えてランプ交換を始めた。 ギアの実視確認などに手間取った。 管制官のレーダーに高度が900フィートと表示されていたので、同機に対し「どうですか?」と質問した。まだ対処中だと回答を受けた。 レーダーが高度表示を異常表示することはたまにあるのでそれ以上気にしなかったのだ。 その後、高度が異常に下がっているのに気づいた副操縦士が「我々は2,000フィートを富んでるんですよね?」と機長に発言。 時は既に遅く、同機は沼地に墜落した。 FDRの解析から、クルーはトラブル対処に気をとられ、機長が後ろの航空機関士に指示を出した時に操縦かんに触れたため旋回高度維持中のオートパイロットがが解除になり、全員がトラブル対応で外の景色にも計器にも気を配らなかった為に、同機が降下しているのに気がつかず沼地に墜落したものと判明した。 オートパイロットが解除された警告音は航空機関士の席で鳴るが、航空機関士はノーズギアの状態を確認する為にコックピットの床にある穴の下に降りるように機長から指示されたところだった。 しかしその警告音はFDRに録音されており、コックピット内で誰でも聞くことができたはずであったが、全員が一つの事に集中しており、誰も気がつかなかった。 |
176人の内103人死亡 |
| Egypt Air 990 |
1999/10/31 |
New York, U.S.A. |
767 |
JFK空港を離陸したEgpt Air 990便はエジプトのカイロに向かった。 控えの副操縦士が予定を無視して離陸後すぐに副操縦士を自分を交代させた。 最年長者なのでわがまま放題だった。 若い副操縦士は抵抗したが、最後は折れざるを得なかった。 副操縦士が交代した後、機長がトイレに席を立った。 突如機体の急降下が始まった。 機長は無重力と戦いながら必死でコックピットに向かった。 無重力状態の中で機長は奇跡的にコックピットに戻った。 すでに落下速度は設計上の限界を超えていた。 副操縦士は「神に祈る」と何度も言いながら操縦かんを押していた。 機長は操縦かんを引き、スポイラーを上げて速度を落としパワーを絞って機首を上げようとした。 機体は上昇したがストレスに耐えなかった。 再び急降下を始め、エンジンがもげて大西洋上に墜落した。 数年がかりの調査が始まった。 水深70mだったのでブラックボックスの発信機はショックではずれていたため回収は難航したが、なんとかFDRとCVRを発見した。 記録から、機長が席をはずした後でAPをはずしたのが確認された。 その後機首を下げパワーを絞った。 エジプト側は昇降舵に異常があった為だと主張した。 しかし機長が戻った時に何が起きたのか聞いていたが、副操縦士は返答していなかった。 機長はパワーを操作しようとしたが、スロットルが反応しない。 副操縦士が既に燃料ポンプのスイッチを切っていたのだ。 エジプト側は緊急回避の手段でエンジン再スタートの為の一時的な手段だと主張した。 機長が操縦かんを引くが同時に副操縦士が操縦かんを押していたため動かなかったと推測された。 エジプト側は昇降舵の異常で降下の状態で動かなくなっていた為だと主張した。 一方回収した昇降舵の重要なリベットが折れているのが見つかった。 その断面から墜落時以外にその前に異常な力が加わって破損しているとエジプト側は主張した。 しかし副操縦士側の制御系が壊れても機長側からは制御できるように2系統あり、エジプト側の主張には異議が唱えられた。 767型機が昇降舵の故障で墜落した事例はない。 NTSBは人的原因であると決定したが、エジプト側は猛反発した。 副操縦士の素行を調査したがニューヨークでの滞在先のホテルでは数々の異常な性的いやがらせ行動を従業員や宿泊客にしていた。 また亡命の準備もしていた。数々の異常行動が露呈された。 また当日の夜、出発前にこれ以上は看過できない、処分をするのでこれが最後のフライトになると機長から言い渡されていた。 59歳でまだ機長になれていない副操縦士は追い詰められた。 退職まであとわずか3ヶ月であった。 その後エジプト航空からアメリカに亡命した男から証言が得られた。エジプトでは全パイロットが集められCVRが聞かされた。技術的な話は全くなく、副操縦士の故意の自殺と言う事で固く口止めされたとの事だった。 しかしエジプト政府はアメリカに対し反撥し、最後まで物別れに終わった。 |
217人全員死亡 |
| El Al Air 1862 |
1992/10/4 |
Amsterdam |
747 |
スキポール空港を貨物機が離陸して上昇を続けた。 7分後、突如警報が鳴り機体は右に激しく旋回した。 第3と第4エンジンの2基が停止した。 油圧系統も死に人力だけで操縦桿とラダーで水平に戻すことは困難だった。 スキポールに引きかえす事にしたが油圧系統が働かず操縦は困難を極めた。 続いて第3エンジンが出火。 消火器を作動させたが火災警告は止まらなかった。 滑走路が近くて減速が間に合わないので旋回しながら下降した。 滑走路に正対したがまだ速度は速かった。 フラップで減速するとさらに制御は困難になり、右に大きく傾き始めた。 制御不能だった。 墜落すると叫び、大きなアパートに墜落した。 墜落の前にエンジン2つが近くの湖に落下したと言う目撃情報が入ったので捜索をし湖底に沈んだ第4エンジンを発見した。 第3エンジンも見つかった。 しかし火災の形跡はなかった。 しかし第3エンジンのカバーに不可解な傷があた。 それを分析すると第4エンジンのスピナーの塗料の跡だった。 それは第3エンジンがはずれ、それが第4エンジンにぶつかった証拠だった。 それで第4エンジンが外れたと推定された。 第3エンジンが外れた理由が問題となった。 3週間後、残骸の山の中からパイロンを固定する金具が発見された。 冶金検査の結果ヒューズ・ピンに亀裂があった。 ヒューズピンが金属疲労で取れたことがパイロンが外れるきっかけとなったと推定された。 3日目に瓦礫の中からFDRのデータが修復された。 右翼の油圧系統が死んだ為に着陸時のフラップも出なかった。 それが最後に致命的な操縦不能を招き墜落したと判明した。 パイロンのヒューズ・ピンの欠陥が原因とされ、ボーイング社は世界中の747の部品を交換し、パイロンの構造も変更された。 |
4人全員と地上の39人死亡 |
| Ethiopean Air 409 |
2010/1/25 |
Beirut沖の地中海 |
737 |
真夜中にベイルートの空港を離陸したFL290まで上昇中雷雲に遭遇、機体バンク過大の警報がなった。 もどそうとすると雷雲に突入せざるを得なかった。その後官制から方位指示を受けるが飛行は無秩序状態。 制御できないまま離陸後わずか5分後に海に墜落した。 海底から回収したCVRからもFDRからも異常は発見できなかった。 シミュレーターでトリムの条件を変えて実験してみた。 色々な可能性を検討したが、機長の過剰勤務による過労が問題視された。 パイロットが過労で状況に対処できず墜落した物と結論付けられた。 |
90人全員死亡 |
| Ethiopian AIr 961 |
1996/11/23 |
Comoros諸島の海上 |
767 |
Addis AbabaからAbidjanに向かうEthiopean Air 961便は離陸後まもなく爆弾を持っていると言う3人の脱獄囚によってハイジャックされ、オーストラリア行きを要求された。 燃料は少量しか積んでいない為一旦給油の為モンバサ空港に着陸しなければだめだと説得するも、聞き入れられず、とにかくオーストラリアに行けと強要された。 副操縦士は殴られ客室に追いやられた為、すべて機長が一人で対処する事になった。 パイロットはそれまでに2度ハイジャックに遭遇しており、いずれも死傷者を出さずに着陸を果たしており、冷静に犯人に対処した。しかし燃料は確実になくなって行った。 機長はオーストラリアには行かず、海の上をできるだけわからないように陸に沿ってコモロ諸島近傍に向け飛行した。 ついにエンジンは停止し、機長はコモロ諸島のコモロ空港に着陸しようと考えたが、犯人との押し問答で空港を見失い、空港近くの海岸沿いの海に不時着水することにした。 副操縦士は重くなった操縦かん操作を助けるため、犯人を説得し副操縦士席につき機長を助けた。 機長は機体は左に傾け、左の翼を先に海に突っ込ませ少しでも制動をかけるようにし、下に突き出たエンジンが最初に着水しないように、最後まで冷静に対処した。 機体は反転し3つに分解した。 その様子は目の前のビーチで海水浴をしていた観光客によってビデオ撮影された。 機長と副操縦士は最後まで冷静に対処した事を表彰され、その後も同社のクルーとして活躍している。 |
175人の内123人死亡 |
| Fedex 705 |
1994/4/7 |
Menphis, Tenessie |
DC10 |
メンフィスからサンホゼに向かってFedex社のキャロウェイ機関士も便乗させて4人で巡航中の貨物機。 離陸前の準備中、担当機関士は席を立つたびにCVRのブレーカーが切られているのに気がついていた。 便乗したキャロウェイ機関士はこの機に乗り込む必要があった。 彼は遺言状を残してこの機に社員特権で便乗した。 (前日まで彼が担当機関士として搭乗するはずだったが、フライト時間が規定を超えてしまった為、急遽非番となってしまった経緯があり) キャロウェイはギターケースに入れて持ち込んだハンマーを使ってクルーに襲いかかった。 操縦していた副操縦士は機体を戦闘機のように上下させたい大きくロールさせたりして急降下をさせたりして敵の動きを封じ込めパイロットや機関士がキャロウェイを押さえ込めるように操縦した。 DC10の限界速度を超えて危険な状態にまでなった。 血みどろになりながらパイロットと機関士はキャロウェイをなんとか逆襲し押さえ込んだ。 やっとメンフィス管制塔にハイジャックを伝え緊急着陸を要請した、救急車と武力介入を依頼した。まだキャロウェイは反撃していたので副操縦士は機体を揺さぶり続けた。 やっとハンマーでキャロウェイに打撃を与え押さえ込んだ。 副操縦士と機長が交代し機長が操縦をした。 アプローチ40Kmのところでまたキュアロウェイが暴れ始めたので機長はAPに切り替えて加勢しようとした、再び席に戻った時には空港に近すぎて速度も方向も高度も異常な状態だった。戦闘機のような急旋回と急降下で滑走路に迫った。時速380Kmの高速で接地し無事滑走路端で無事停止した。隊員が脱出シュートをよじ登って来てキャロウェイに手錠をかけてやっと事態を収拾した。後の調査で人生に失望し追い詰められたキャロウェイが自殺を図ろうとしていた事がわかった。 搭乗前に資産を売却し金を離婚した妻に送った。勤務中の事故で出る保険金を妻に残そうとした。 事故を装うために銃は使わなかった。 裁判で終身刑の判決を受けた。 頭蓋骨を陥没させられ意識が朦朧とし半身不随の中で無事闘ったクルーは賞賛されたが、後遺症でフライトに戻ることはできなかった。 |
全員無事 |
| FedEx 80 |
2009/3/23 |
Narita, Japan |
MD11 |
空気抵抗を小さくするために特殊な形状に修正したMD11は、水平尾翼が小さい為に着地進入速度が280Km/hと言う速い速度が要求された。 当日は風が強かったので10ノット速い速度で成田空港に進入をした。 接地と同時に横転し爆発炎上した。 空港の監視カメラに一部始終が録画されており、機は2回バウンドし、3回目に左に傾き大破していた。 1989年のNewarkの同型機の事故と全く類似だった。 CVRに録音された対地高度計の音声から最後の降下率は通常より大きかった。 FDRの解析から着地寸前にフレアをかけたのが着地前のわずか2秒前で遅すぎた。 それが降下率が大きかった原因であった。 50フィートでAPはパワーオフしたが、強風下ではマニュアルでパワーを上げる必要があった。 強風下ではマニュアルで必要なパワーを与えながら着陸するのが正しい操作だった。 二人のそれまでのスケジュールは忙しく3〜4時間の睡眠しかとっておらず、操作が緩慢になったと思われた。 最初のバウンドの後、機首上げ操作をすべきなのに機首下げ操作をしていたので、激しくバウンドし2度目は更に激しく接地した。 MD10の機首を長くしたMD11ではバウンドしたとわかりにくく接地したと言う錯覚に陥りやすく、主翼のギアが接地したと思い機首下げをした可能性も考えられた。 |
2人全員死亡 |
| First Air 6560 |
2011/8/20 |
Resolute Bay, Canada |
737-210C (Combi) |
カナダの北極圏の唯一ILSを備えたResolute Bay空港に霧の中をアプローチ中、ILSをキャプチャしたが、その後副操縦士が計器上でコースを外れているのに気がついた。 ローカライザーから右側にずれており、その先に丘があるのでアプローチをやりなおすべきだと操縦士にに進言するが、APが誘導してくれるから大丈夫だの一言で無視される。 GPSでも右側にずれており、コースを外れていると確信する副操縦士が何度も何度も右にずれているのではと、滑走路の右側には丘がありますよね警告するが、操縦に集中しろと言われ無視された。 やがて地上接近警報が鳴り、ゴーアラウンドを叫ぶ副操縦士の声にやっと機長は回避操作をしたが、時すでに遅く、丘に機体の腹から激突し滑りながら機体を分解大破した。 たまたま付近で軍の大規模な航空機空中衝突遭難救助訓練が行われていたので、わずか20分後に救助隊がかけつけた。 滑走路の横1マイルだった。 軍事演習で一時的に軍が設置したレーダーに記録が残っていたが、それは同機が滑走路に正対せずに並行に飛んでいる事を示していた。 最後に旋回し滑走路に正対する瞬間に、コースをずれ始めていることがFDRでわかった。 CVRの記録で確認すると、そのタイミングで操縦と通信が錯綜しており、その中で機長が操縦かんを押してしまったが、それでAPがはずれた事に気がつかなかったものと推定された。 北極圏なので、磁方位が17度もずれており、機長の方位計は311度と滑走路と正対している間違った方位を示しており、それが機長の態度を助長させたと推定された。 まめなコンパス調整を怠っていたからだ。 機長は、副操縦士の警告に対し、ILSをキャプチャしているのだから、最後はちゃんとスロープに正しく乗ると思って無視していたと考えられた。 副操縦士が全部で18回も進言・警告しているのに、矛盾を解決しようと検討もしないコミュニケーションの無さが最悪の事態を招いた。 |
15人の内12人死亡 |
| Flash Air 604 |
2004/1/3 |
紅海上空 |
737 |
エジプトのSharm el-Shaekh空港 からParisへの早朝5時のフライト。 機器のひとつが故障していたがエンジニアはフライトに支障がないと言った。 月明かりもない闇に離陸した。 紅海上空で方向転換しようとしたときに、期待の挙動がおかしいのに気づいた。 左に旋回しようとしているのに、右に旋回した。 副操縦士がそれを指摘したが、なんでそうなるんだと機長は当惑した。 APに切り替えようとしたが切り替わらなかった。 機体は大きく傾き、離陸後わずか3分で海に時速700Kmで海に向け急降下し墜落した。 管制塔への通信は何もなかった。 2日後イエメンのテロリストの犯行声明があったが、調査チームは機体のデブリが一ヶ所に集中していたので爆破などのテロの可能性はすぐに否定した。 潜水艇で1,000mの海底調査が行われた。 Flash Airはジェット機2機を所有する格安チャーター便会社で、メンテナンスは悪く過去に問題を起こし乗り入れを禁止した国もあった。 事故の2週間後にFDRとCVRが発見され回収された。 離陸前にエンジニアに機長が指摘した機器の故障が何なのか注目された。 1年後も結論が出ず、いくつもの仮説をたて、米国で高性能シミュレーターを使って実験した。 フラップやスポイラーの異常、APへの解除不完全など4つの仮説に可能性があったと再現された。 しかしいずれも証拠はなく特定できなかった。 墜落の直前機体の姿勢を取り戻していた。 故障なら姿勢の取り戻しはできなかったと思われた。 旋回の直前の左への進路変更が不完全で、減速があり、機首が上がったのに機長に気づいた様子はなかった。 機長が空間識失調があったのではないかと推測された。確かにわずかに機長が操縦かんを右に傾けていたのが記録されていた。 CRMの訓練がこの航空会社では行われていなかったことが判明した。 CRM教育を請けていなかったので副操縦士は異常に気づいていながら空軍出身のベテラン機長に対し消極的で、最後まで操縦かんには触れなかった。 2年後最終結論が出された。 エジプト側は幾つかの可能性が残されていると発表したが、アメリカの調査委員会はCRMが行われていなかった事を原因だとした。 |
148人全員死亡 |
| Garuda Indonesia 200 |
2007/3/7 |
Yogjakarta, Indonesia |
737 |
ジョグジャカルタ空港に着陸体勢に入っていた737は突風が吹く中降下を続けた。 降下率が大きく、パイロット経験のある乗客が不安に感じるほどであった。 機体は高速のまま滑走路に激しく着地し2度バウンドして3度目は前脚が折れて滑走路先の水田の土手に激突炎上した。 機長は生還し、ダウンバーストに見舞われ、フラップもうまく作動しなかったと証言した。 残骸の調査からフラップはわずか5度であったと確認された。 またFDRから着陸時は時速400Kmと通常より160Kmも速い猛スピードであった事も確認された。 CVRの分析から、アプローチまで高度が高すぎたので修正に入った。 機長がフラップ15と数度指示してたが副操縦士は5度から動かそうとしていなかった。 250ノットでフラップ15の指示を受けたが、それには速度が速すぎたので、副操縦士の判断自体は間違っていなかった。 しかし減速すべきと伝えていなかった。 意思疎通がおかしかった。 対地接近警報が15回も鳴っていた。 副操縦士が2度にわたり旋回を求めたが、それ無視して副操縦士に着陸前の確認を要請すると言う常識では考えられないリアクションをした。 同航空会社の訓練不足や燃料消費節約の奨励金など航空会社の体質や体制にも問題が指摘された。 |
140人の内21人死亡 |
| Helios 522 |
2005/8/14 |
ギリシア |
737 |
キプロスからアテネに向かった737が離陸数分後突然Take off Configuration警報が鳴った。 離陸後に鳴ることはない警報なので地上に照会した。 すぐにMaster Cautionが鳴り始めた。 突如客室に酸素マスクが下りた。 コックピットでは酸素マスクが下りた事には気づいていなかった。 与圧装置がAUTOになってるか確認するように地上から指示があった。 それに対する返答はなかった。 乗客にアナウンスがないまま機体は上昇を続けた。 そのまま通信が途絶えた。 地上からの呼び出しに答えがないまま2時間以上も空中旋回を続けた。 ギリシャ空軍機2機が追跡した。 コックピット内にうつ伏せになった人影があったが、機長は見えない。 乗客は動かない。 そのうちコックピット内に一人動く人影が見えた。 戦闘機は合図を送り続けたが反応はなかった。 突然左に旋回し降下を始めた。 高度2100mまで降りた時、コックピットの人影はやっと戦闘機に気づいたが、変化はなかった。 その後丘陵地帯に墜落大破した。 遺体の解剖から犠牲者のほとんどは墜落の瞬間まで生きていたようだった。 最後にコックピットで動いていた人影の組織検査からそれはスケジュールを変更してフライトに加わった客室乗務員と判定された。 CVRから機長が苦しそうな声でメーデーを発信していた。しかしそれは管制官に届いていなかった。 最後に旋回したのは左のエンジンの燃料が尽きた為だった。 機体のメンテナンス履歴から1年前に急減圧に見舞われていたことが判明した。 それは後方のドアが完全にロックしていなかった為だった。 調査を進めると整備士が当日後方のドアに異常があるとの報告でドアを確認していたことがわかった。 整備士は与圧テストをしたところドアから漏れている様子は確認できなかったので、良しとしていた。 現場から回収されたコントロール・パネルの与圧スイッチがマニュアルになっていたのだ。 整備士に確認すると、与圧のチェックの為にマニュアルにしたあとオートに戻していなかったのだ。 クルーは最初の警報の意味を読み取れなかったのだ。 Mastre caution警報についてもシステムの加熱だと思い込んでいたが、客室で酸素マスクが降りても鳴る物だった。 地上から与圧システムの問いかけに対し、冷却装置のブレーカーは何処だと聞き返して来たのも、低酸素症のせいだと推測された。 その後機長はブレーカーを操作するために席をはずして後方のブレーカー・パネルに行ったところで倒れたのではないかと推定された。 高度1万メートルで酸素マスクの酸素が尽きると意識が保てるのはせいぜい数十秒なので、乗客全員が意識を失ったと見られた。 乗務員用の緊急酸素ボトル(1本で1時間もつ)4本のうち、3本が使われており、この酸素を使って客室乗務員が最後まで解決を試みたと見られた。 |
121人全員死亡 |
| Hughes Air West 706 |
1971/6/6 |
California, U.S.A. |
DC9 |
ロスアンゼルス空港を離陸後まだ15,000フィートを上昇中、しばらくして険しい山地に墜落大破炎上した。 戦闘機と空中衝突したとの目撃証言があった。 F-4Bファントム戦闘機が帰還していない事が判明した。 バレル・ロールと言う禁止されている曲芸飛行をしていたとの証言があった。 管制官のレーダーには戦闘機らしい機影は映っていなかった。 戦闘機の一人は脱出シュートでパラーシュート脱出してただ一人助かった。 生還した後部座席にいた中尉は曲芸飛行を否定した。 360度のエルロン・ロールをして周囲を確認し地形をレーダーでスキャンしている間にDC9がぶつかって来たと主張した。 DC9の残骸から機体の復元作業をして衝突の状況を調査した。DC9のCVRは完全破損、FDRは半分修復できた。 DC9は正常に一定方向に飛行していた。 戦闘機がDC9の左側の下から飛んできて水平安定版がDC9の機首を切り裂いていた。 戦闘機は高高度酸素供給装置に故障があったのでいつもより低高度で飛行を余儀なくされていた。 1500フィートを飛んできてロサンゼルスのスモッグを避けるために15000フィートに上昇した所だった。 両機の相対速度は700ノットを超えており、発見回避はほとんど不可能と推定された。 管制官のレーダーの性能では高速移動の戦闘機を映す能力はなかった。 当時は軍用機は民間航空機の管制に連絡する義務はなかったし、民間航空機の航路も理解していなかった。 複数の不可避の要因が重なって発生した事故と結論づけられた。 |
DC9の49人全員と戦闘機の2人の内1人死亡 |
| IFO21 |
1996/4/3 |
Croatia |
CT-43 (737改造機) |
アメリカのBrown商務長官ほか著名人を乗せた米国軍用機がボスニアからクロアチアのDubrovnikに向かった。 Dubrovnikの空港では民間機は悪天候の為にすべて離発着を中止していた。 クロアチア国境に差し掛かると軍の警戒機から制限空域に入っているので出るように無線連絡が来た。 まだクロアチア紛争が完全に収まってなく、危ない空域が設定されていた。 同機は迂回して飛行する事にした。 嵐の中、空港にアプローチをしたが、空港の誘導施設は紛争で完全に破壊されていた。 ドップラー・レーダーもグライドスロープもなかった。 唯一旧式なNDBしかなかった。 先に在クロアチア米国大使を乗せて着陸していた機から、天候が悪いのでダイバートした方が良いかもしれないと連絡があったがそのまま飛行した。 NDBからの電波を捕捉し降下を進めた。 雲の中から突然前方に山が現れ、機は激突大破した。 空港まで3Kmの地点だった。 レーダーがない為、地上では遭難地点も特定できなかった。 数時間後事故現場近くの住民からの通報でやっと現場が特定できた。 尾翼以外に原型を留めているものはなかった。 その尾翼部分に奇跡的に生存者1名を発見したが搬送中に死亡した。 軍用機なのでFDRもCVRも搭載されていなかった。 当時上空を飛行していた警戒機のレーダー記録を調査した。 空港から20Km手前からコースが左にずれ始め、山に向かって直進していた。 NDBは2つあって、1つ目通過時に方位を修正し、2つ目の空港手前のNDB通過時に滑走路を視認できなかったらGAすると言う方式だった。 設備に異常はなかった。 機体の残骸からADFが発見された。 しかしADFは1台しか搭載されていなかったようだった。 2つなければ2つのNDBを同時に受信できない。 クルーは1つのADFの周波数の切替を頻繁に行って対応したとみられた。 途中でNDBをたどる為にとるS字飛行ルートをやめて直進していた。クルーは途中でNDBをやめてINSを使おうとしたと見られた。 しかしINSには正確なデータが入力されていなければ正確な飛行はしてくれない。 空港に対し誤差を生じたと見られた。 また残骸から発見した地図にはミニマム高度の記載には問題があった。 米国国防総省の定めるミニマムより700フィート低い2150フィートと記載されていた。 通常は外国では事前に審査した空港にか軍用機は着陸しないが、この空港は国防総省に承認されていないにも係わらず米国空軍幹部は使用させていた。 空軍の中枢部まで責任を問われ解任された。 |
35人全員死亡 |
| India 182 |
1985/6/23 |
大西洋上空 |
747-200 |
貨物室に載せられたカバンの爆弾が爆発し空中分解。 ルールを曲げて搭乗しないチェックイン客の荷物を載せてしまった事や、空港の貨物検査に手落ちがあった為。 |
329人全員死亡 |
| Iran Air 655 |
1988/7/3 |
ペルシャ湾 |
A300 |
8年に及ぶイラク戦争はこう着状態に陥りアメリカ軍はペルシャ湾で石油タンカーの護衛監視役をになっていた。 イージス艦U.S.S. Vincennesはフリゲート艦U.S.S. Elmer Montgomeryに援護要請を受けていた。 イランの小型砲艦が外国商船を襲おうとしているとの情報があった。 ビンセンスはハイテク・レーダーを初め高度な武器を搭載した優れたイージス艦であった。 偵察に飛び立ったヘリコプターが10隻近くのイラン砲艦に対空砲火された。 部隊全体に戦闘準備が整えられた。 その頃87Km北にあるイランのBandar Abbas空港からIran Air 655がホルムズ海峡を越えてドバイに向け飛び立った。 30分近く予定より遅れての離陸だった。 ビンセンスは砲艦に接近し砲撃を開始した。 イラン軍の哨戒機P3がレーダーで発見されたので無線で警告した。 近づかないと約束したが、あきらかにこちらを監視しているようだった。 レーダーはIran Air 655を捉えた。 トランスポンダーの信号は一般的なモード3しか返して来ないので正体は不明だった。 民間航空機のフライト予定リストを確認したが該当はなかった。 民間航空機の管制用周波数は装備していなかったが、国際遭難周波数で呼びかけたが応答がなかった。 機はどんどん近づいて来ていた。 トランスポンダーが1100のコードを返し始めた。 それはF14戦闘機のものだった。 更に近づいてきた同機は27Kmの距離から降下を始めた。 遂に護衛手段を講じることになった。 2発のミサイルを発射した。 ミサイルの自爆ボタンの上に指を置きながら最後の警告を行ったが返事はなかった。 機は国際航空路を飛行していたにも係わらずついに撃墜された。 イージス艦の航空機識別担当者はモード3にスコークを確認したが、空港離陸時に捉えた滑走路上のF14から発せられたモード2の1100(F14)が離陸後しばらく表示されたので民間機ではないと認定したが、マウス操作の誤りで、滑走路上のF14のトランスポンダーをしばらく受信していたと言うミスがあった事がわかった。 緊迫した状況の中では民間機の可能性を否定しない隊員のサジェスチョンはあったが聞き入れられる状況ではなかった。 10回の警告無線のうち7回は民間機が聞いていない軍用周波数で行われていた。 国際遭難周波数での呼びかけは速度と高度を明示して呼びかけたが、Iran Air機の速度計は対気速度で、レーダーが検知した対地速度とは100Km近い差があったと推測され、Ira Air機が警告を無視した可能性が指摘された。 モード3で表示されていたスコーク6760で呼びかけていればIran Air機は自機に対する警告であると気づいた可能性が指摘された。 しかし明らかに艦に向かって降下を始めたので、艦長のロジャース大佐は艦を護るために決断をしなければならなかったと主張したが、レーダー記録を確認すると降下ではなく上昇をしていた事が判明した。 レーダー担当者が恐怖の中で誤認した情報が大佐に伝わったものとわかった。 諮問委員会では彼らは責められず、帰国後は表彰された。 |
290人全員死亡 |
| Itavia Air 870 |
1980/6/27 |
地中海上空、Italy |
DC9 |
巡航中にNAVIビーコンの受信が不能になった。 管制官のレーダー誘導を受けることになった。 その後乱気流に遭遇したのでFLを下げた。 その後ビーコンの受信が復活した。 その後突如レーダーから消えた。 地中海に墜落した。 新聞記者にミサイルが撃墜したとの密告情報が入った。 フランスとリビアの戦闘機同士の空中戦に巻き込まれた可能性が推測された。 イタリア政府はその密告に基づいた新聞報道を否定した。 海上の浮遊デブリは広範囲に拡がっており、機体は空中分解されたと推定された。 レーダーの元データを精査すると、DC9の側面から何らかの飛行物体が接近している様子が見てとれた。 その後リビア機が陸地に墜落している残骸が発見された。 犠牲者の体内から爆発物の破片が発見された。 それは着陸ギアの格納室の構造材と一致した。 それはミサイルが爆発して格納庫の構造材が飛んで乗客に突き刺さったのではないかと推測された。 TNT爆薬の痕跡も見つかったが、それが爆弾かミサイルかは確定できなかった。 2年間の調査の結果、爆発が原因だとは結論付けられたが、それが爆弾かミサイルかどちらかは確定できなかった。 7年後大金を投じてCVRの回収が行われた。 録音は機長のGuarda!(見ろ!)で終わっていた。海底からデブリが回収された。 外から中に向かって破壊されている様子が見られた。 9年後ミサイルの可能性が高いと調査チームは発表した。 しかし翌年証拠不十分を理由に調査チームは見解を否定した。 その後残りのデブリの回収が必要だとの意見が認められ、莫大な費用がかかるが政府はそれを決定した。 デブリをつなぎ合わせた結果、機体後部に大きな穴があいているのが再現された。 機内のデブリから後部化粧室内で爆発が起きたようすが見て取れた。 再現爆発実験で化粧室での爆発が見事に証明された。 ミサイル説は否定された。 14年後爆弾によるものだとの調査結果が報告された。 政府や国民はその報告を直視しなかった。 33年後ミサイルによる撃墜の可能性が高いと裁判所が判断し賠償金の支払いを政府に命じた。 |
81人全員死亡 |
| JAL123 |
1985/8/12 |
群馬県御巣鷹山 |
747-200 |
大阪空港で尻餅事故を起こしたジャンボ機の機体後部の圧力隔壁の修理は米国ボーイング社で行われたが、リベットが2列ではなく1列しか打たれてないという不完全な修理をした。 それが原因で夕刻に羽田空港を離陸した同機は、駿河湾上空で突如圧力隔壁が破裂し、尾翼を失い、機内はデコンプ状態となった。 操縦系統がすべて失われ、パワー操作だけが可能だった。 機体はフゴイド運動を繰り返し、制御はほとんど不可能だった。 同じ操作を繰りかえすしかないまま30分以上も迷走しながら北上し、群馬県御巣鷹山に墜落し大破炎上した。 横田基地を飛び立った米軍のヘリがすぐに現場を確認したが、自衛隊はなぜか救助中止を依頼、自衛隊が対処するとした。 しかしその自衛隊が墜落機を発見し、救助を開始したのは翌日になった。 その為に多くの生存者が死亡したと考えられた。 機墜落後の自衛隊等の対応に不審な点があり、様々な憶測が出されているが、真相はいまだ謎のまま! 様々な記事や書籍が出版されている。 誰が米軍に救助の中止を指示したも明らかにされていない。 |
524人の内520人死亡 |
| Korean Air 007 |
1983/9/1 |
Sakhalin, USSR |
747-200 |
Anchorageを磁気方位モードで離陸後、INSモードに切り替えるのを失念しサハリン上空でソ連領を侵犯し戦闘機に撃墜された。 10年後の冷戦終結後ブラックボックス公開で確定。 |
269人全員死亡 |
| Korean Air 801 |
1997/8/6 |
Guam |
747-300 |
深夜にグアムにアプローチ中、極めて激しい乱気流に襲われた。 その後収まったが、グアムの天候は悪く、視界は悪かった。 Guamのガンディ空港はたまたまILSの長期メンテナンス中で、グライドスロープは使えなかった。 天候は雨、機長は大変疲労していたが、十分な地上設備による支援がないまま着陸をする事になった。 空港に進入中に激しい雨が視界をさえぎり続けた。 突如地上接近警報が鳴った。 しかし滑走路はまだ先にあり見えない。 ミストアプローチを決意しGAするが、遅かった。 空港の5Km手前の丘に腹をこするように激突し、次々に分解大破した。 まもなく機体は炎につつまれた。 マニュアルで降下するにはステップ・ダウンで安全を確認しながら高度を下げるの普通だが、同機はステップ・ダウンは1回だけで、後は一定の角度で降下を続けられていた。 グライドスロープが働いているとのコックピットの会話があった。 島の近くの軍基地のグライドスロープが反応することがある事が確かめられた。 それは一時的なものであると考えれたが、パイロットを混乱させた可能性はあった。 大韓航空の訓練を調査したところ、訓練は滑走路端にあるDMEを使用する事を前提に行われていた。 ところがガンディ空港はDMEは滑走路端ではなく、5Km手前の丘の上に設置されていた。 同機は丘に着陸するように操縦されていたと推測された。 米国FAAは最低安全高度警報システムの設置を各空港に義務付けていたが、がガンディ空港では誤作動が多かったので例外として空港周辺ではなく80Km以上はなれている海の上を測定していた為に役に立たなかった。 |
254人の内228人死亡 |
| Korean Air 8509 |
1999/12/22 |
Great Hallingbury, England |
747 |
ロンドン、スタンスデッド航空から離陸した貨物機はあずか1分後に左に大きくバンクして地上に激突大破した。 左旋回をしようとした際に、機長席側のADIが故障中でロール・データを表示せず、機長はどんどん左バンクへ操縦かんを操作しつづけたもの。 航空機関士は予備のADIをみてバンク!バンク!と叫び続け、警報も鳴っていたが、副操縦士は何も言わなかった。 韓国人世界の悪習で、空軍出身のベテランで高圧的な機長に新米副操縦士は何も言えない雰囲気があった。 前日同機を操縦したパイロットがADIの異常に気づき、予備に切り替えて操縦していた事がわかった。 到着後修理を依頼し、整備士が修理を行ったが、実際の故障箇所はADIに姿勢信号を送るジャイロだった。 欠陥特定マニュアルが韓国人整備士の手元になかった為に関係ないADI表示装置その物を修理して良しとしてしまった。 警報が鳴っていたのになぜそれを無視し続けたのか、機長は異常を確認しようともせず、自分のADIに固執して操縦を続けた。 韓国の数百年来の階級制度の文化が根底にあると考えられた。 |
4人全員死亡 |
| Lauda Air 004 |
1991/5/26 |
Thailand |
767 |
F1レーサー出身のNiki Laudaの興した航空会社が初めての767の墜落事故を起こした。 巡航中に突如急降下を初め、空中分解し地上に墜落した。 まずテロが疑われたが、残骸の調査で貨物室に爆発物の痕跡はなかった。 離れたところに遅れて発見した左エンジンが逆噴射状態になっていた。 飛行中に逆噴射を動作させてもそれで機体が制御不能にはならない事はボーイング社の実験で明らかになっていた。 FDRは読取り不能だったがCVRは再生できた。 28000フィートまで通常通り上昇した後、「ああまずい」と言う声と警告音が録音されていた。 左エンジンの逆噴射の遮弁の異常だった。 着陸時に逆噴射が使えないと言う程度の異常なので、気にしていなかった。 その5分後に「逆噴射が作動!」との声の後すぐに制御不能に陥っていた。 その20秒後機体の崩壊音が録音されていた。 現場からエンジンに取り付けられたEEC(電子制御装置)を回収し、データが残ってるか調査した。 フルパワーで駆動中に逆噴射が行われ、アイドリングにもどし燃料もカットされていたのがわかった。 ラウダはボーイング社を訪れシミュレーターで事故を再現させた。 驚いたことに機体は旋回し、なす術がなかった。 これはボーイング社にとっても重大な事実だった。 これで逆噴射装置の誤作動が原因だと判明した。 ボーイング社のテストは10000フィートだった。 高い高度でかつスピードも倍以上で飛行していたLauda機はあっと言う間に揚力が失われたと推定された。 遮断弁が開き方向指示弁が作動に切り替わらないと逆噴射は動作しえなかった。 同じハーネスの中に配線された2つの弁の配線がショートすれば起こりえる事がボーイング社の実験でわかった。 |
223人全員死亡 |
| Manks2 7100 |
2011/2/10 |
Cork, Ireland |
Fairchild SA227-BC MetroV |
霧が深いので有名なCork空港にアプローチ中、霧の為待機旋回を継続。 管制官から霧が少し晴れたので進入許可がおりた。 ゴーアラウンドを2回行ったあと、再びグライドスロープに乗った。 操縦は副操縦士が行っていたが、操縦士が副操縦士を助けようとしてパワー制御は自分がやると申し出た。 パワーを絞ってミニマムまで降下した時、機体が急に傾き、滑走路の手前で翼から地面に接触し機体をこすりながら仰向けに墜落した。 3Dレーザー・スキャナーで現場のデブリを捉え描き出した機体の姿勢の経過から、着陸時に制御不能になっている事が明らかだった。 すべての計器を調べたが異常はなかった。 CVRの記録からパワー制御を機長が行っているあってはならない操縦が確認された。 また録音されているエンジンのひとつに異常音が見られた。 FDRから左のエンジンがリバースに入っているのが確認された。 左のパワーレバーを手前に引き過ぎたのだ。 それに気づいた機長がそれを修正しようとし過剰にパワーを上げたがそれがかえって機体の姿勢を不安定にしてしまった。 整備不良で左右のエンジンのアンバランスが修正されていないままだったのが事態を悪化されたと推定された。 機長は機長昇格したばかりだが、機長資格に必要な訓練をすべて終了していなかったし、副操縦士も数日前に雇用されたばかりだった。 また客室乗務員がいないので副操縦士が乗客への案内や座席のセットなどすべての業務をこなさなければならなかった。 休養も十分とっていない過剰勤務だった。 さらにManks2は航空会社ではなく旅行代理店だった。 機体の整備もスペインの会社に外注し、ずさんで整備記録もほとんど記録されていなかった。 会社からのサポートが全くないままプレッシャーを受けながらの操縦を余儀なくされていた。 |
12人の内6人死亡 |
| Midwest 5481 (US Airways Express) |
2003/1/8 |
Charlotte, North Carolina |
Beachcraft 1900B |
搭載重量を平均で計算した為に小型機なのに250Kgも超過。 離陸後制御できず墜落。 |
21人全員死亡 |
| N600XL & GOL1907 |
2006/9/29 |
ブラジルのジャングル上空 |
Legacy600 & 737-800 |
小型ジェットLegacyが737と空中接触し737は墜落。LegacyトランスポンダがOFFになってた、管制官が高度変更指示しなかったで同高度正面衝突。 |
737の154人全員死亡 |
| Nigeria Air 2120 |
1991/7/11 |
Jeddah, Saudi Arabia |
DC8 |
整備士がタイヤの空気圧が低いのを発見したが、充填用の窒素をさがすのに手間取っていると、航空会社の運用係はタイヤ交換はいいから離陸させてくれと指示、タイヤの空気圧が低いまま離陸をした為、離陸滑走中に2本がバーストして炎上。 パイロットはそれに気づかないままギアを格納した為、火が機体内で広がり、次々に制御系を破壊、客室も炎上し、30Km近く離れてから空港に引き帰そうとしたが、空港直前でギアを下ろした瞬間に一気に火が広がり次々に機体が燃え落ち、最後は墜落した。 |
261人全員死亡 |
| NOAA42 |
1989/9/15 |
カリブ海上空 |
ロッキードP3オライオン |
巨大ハリケーンHugoの観測の為にカリブ海に向けて飛んだ政府気象観測機がハリケーンの目に向かった。 カテゴリー2か3と思われていたが実際に進入するとカテゴリー5に迫る規模だった。 機首方位と飛行方位は45度もずらさなければならなかった。 強風でもまれる中No.3エンジンが火を噴いた。 No.3エンジンを停止したがパワーが足りず降下を始めたが、次の瞬間ハリケーンの目の中に抜けて安定飛行になった。 目の中で高度を上げたがどうやってまた壁を突き抜けて3発のエンジンだけで抜けるかだった。 目の直径は20Kmしかないので、目の中をらせん状に旋回しながら上昇した。 後からついて来ている空軍機C130が追いつくのを待った。 その後NO.4エンジンの前に除氷装置のゴムが外れて吸い込まれそうになっているのを発見した。 No.4を失ったら絶望的だったので、燃料ダンプを決意した。 6.8トンの燃料をダンプし、機体は上昇するようになった。 C130が接近し、NOAA42の機体をチェクした。 特に大きな傷は見当たらなかった。 除氷ブーツはいつの間にか吹き飛んでいた。 C130にハリケーンから脱出しやすいルートを探してもらった。かろうじて高度6千フィートを維持していた。20分かけてやっとハリケーンから抜け出た。 そして無事帰還した。 帰還後エンジン出火の原因が調査された。 Gメーターによると乱気流で機体の限界最大G(+3.5/-1G)に対し+8G/-3.8Gもあった。 エンジンの調査から燃料供給量を調節する装置が故障し、過大な量の燃料がエンジンに送られた為に発火したと推定された。 |
全員無事 |
| Northwest 255 |
1987/8/16 |
Detroit, U.S.A. |
MD80 |
Take off 直後に失速し、すぐに墜落し高速道路に激突。 直前に滑走路変更指示を受け混乱した為、タクシー・チェックリストを中断したままフラップを出し忘れたのが原因。 タキシング中に片側エンジンだけパワーを上げるといつも鳴る離陸警報がうるさいので、パイロット達は日常的にブレーカーを遮断していた為に、離陸直後の失速警報(同じブレーカー使用)も鳴らなかった可能性が指摘された。 |
155人の内154人と地上の2人死亡 |
| Northwest 85 |
2002/10/9 |
ベーリング海上空 |
747-400 |
巡航中急に機体が大きく左に傾いた。 マニュアル操縦に切り替えて操縦するが制御困難。 下部方向陀が左に向いたまま動かなくなっていた。 ラダーペダルで上部方向陀を操作してかろうじて対処。 Anchorageに引き返すことを決断。 長時間かなり筋力を要する操縦だった。 休憩中の交代要員パイロット達も参加して奇跡的に無事着陸した。 方向陀の油圧制御装置のエンドキャップが金属疲労ではずれ、中のピストンがはみ出した為に方向陀が曲がったままロックされてしまった事がわかった。 この747は世界中で一番古かっただけでなく、納入前はテスト機としても使われていた。 その後機構の中にロック・メカニズムを組み込み、最悪の場合でも制限がかかる改造が加えられた。 |
404人全員無事 |
| Ontario1363 |
1989/3/10 |
Dryden, Canada |
Fokker F-28-1000 |
APUが故障していたので、コンプレッサー車がないDryden空港ではエンジン始動方法がない。 エンジン停止が出来ないと毒性の液体を機体に吹きかける除氷作業を依頼する事はできないのでそのまま離陸。 操縦席から視認できる翼前縁部は機体の除氷装置で着氷していなかったが、後方部は着氷していた為、フォッカー機の設計の悪さも加わり揚力が得られず上昇できないまま離陸直後に墜落。 |
69人の内24人死亡 |
| OODLL |
2003/11/22 |
Baghdad, Iraq |
A300 |
イラク戦争は終結したがまだ混乱が続くバグダッドを離陸したDHLの貨物機が、直後にミサイルで攻撃された。 実はフランス人ジャーナリストがアメリカ軍に反対する武装勢力の活動を密着取材をしていた。 その取材している武装勢力が目の前で貨物機に携帯肩掛け式の赤外線誘導ミサイルを撃ち込んだ。 離陸した同機はテロリストの攻撃を避けるために3000メートルまで一気に上昇を目指したが、ミサイルは機体の翼に命中した。 ハイドロが漏れ、機体の制御ができなくなった。 操縦かんは反応しなくなった。 3600mまで上昇したが、上昇下降を繰りかえすフゴイド運動を始めた。 スロットルだけでなんとか制御する挑戦をした。 パワーを上げると機首が上がり減速をし、パワーを絞ると機首が下がって加速した。 通常とは逆だ。 何度も挑戦するうちに何とか制御するコツを掴んだ。 翼が燃えているのに気がついたので空港に早く引き返そうとした。 テロリスト達は更にとどめを打とうと狙っていた。 2発目は命中せず、テロリスト達は退散した。 ギアは手動で下ろした。 するとギアの影響で減速し機首が上がるようになった。 失速寸前まで行った。 あわててパワーを絞って機首を下げ加速を得た。 その後機体はむしろ安定した。 高度が高く距離が近すぎたので空港から30Km離れて旋回をし高度を下げることを選択した。 その間も翼の炎は消えず、いつ分解するかわからなかった。 なんとか進入までこぎつけたが猛スピードだった。 滑走路を逸脱しダートの中でなんとか停止に成功した。 |
全員無事 |
| Pacific Southwest Air 182 |
1978/9/25 |
San Diego, U.S.A. |
727 |
Visual Approachでサンディエゴ国際空港にアプローチ中3マイル先を飛ぶセスナ機の視認を指示され視認した。 最終進入の段階で一瞬副操縦士が直ぐ下にセスナ機を確認したがその後見失い、あいまいなままタワーに報告しなかった。 パイロット達はセスナは通過してしまったと思ったがセスナ機が衝突し、機は炎上し墜落大破。 セスナ機は計器飛行の訓練中で長いブラインド・フードのある帽子を着用させられていたので727を視認する事は不可能だった。 ATCは双方の機に注意喚起はしたが不十分で対処はあいまいで、通信にノイズがあっ最後の確認に誤解があった事もあり、パイロットが最後までセスナを視認していると思っていた。 |
137人全員と地上の7人死亡 |
| Pan Am 103 |
1988/12/21 |
SchotlandのLockerbie上空 |
747-200 |
貨物室の時限爆弾が爆発。 空中分解。 |
259人全員と地上の11人死亡 |
| Partn AIr394 |
1989/9/8 |
北海上空 |
Convair 340-580 |
APUの取付ネジ破損で振動。方向蛇を固定するネジに非純正品が使われていてガタが出ていたので方向蛇内部機構が共振し最後は破損。墜落。 |
55人全員死亡 |
| Philippines Air 434 |
1994/12/11 |
南大東島付近の太平洋上空 |
747 |
巡航中の機内の乗客の座席の下で爆弾が爆発し1名が死亡した。 アメリカを標的にしたテロのテストの始まりだった。マニラ〜セブ〜東京の便だったが、犯人は爆弾を残してセブで降りた。 高度10000メートルで南大東島付近を巡航中、時限爆弾が爆発した。 APからマニュアル操縦に切り替えて機体の姿勢を取り戻した。 その座席に座っていた日本人は下半身が吹き飛んだが間もなく死亡した。 床には穴が開いたが、幸いにも機体の外壁は穴が開かなかった。 APが働かない事がわかった。 負傷者を救うために急遽那覇空港に緊急着陸することにした。しかし管制官の指示で機体を転回させようとしてもAPは反応しなかった。 仕方なくマニュアル操縦を試みた。制御不能に陥るリスクがあった。 なにも起きなかったが、機体の制御はやはりきかなかった。 最後の手段としてパワー制御で機体を転回させることに成功した。 36トンの燃料も投棄して機体を軽くした。 パワー制御だけで見事に着陸に成功した。 事故機は普通の747とは少し異なっており、爆弾を仕掛けた座席は燃料タンクの上を外れていたのが大爆発を食い止めた。 また縦に爆発し横に爆発しなかったので機体に穴が開かなかった。 後日マニラのアパートで犯人達が爆弾の大量製造をしていたところ、異臭と煙が大量発生したため警察がアパートを調査し、犯人の一人が確保された。 調査の結果PA434の事件との関係が明白になった。 爆弾の使用部品や偽造パスポートも見つかった。 逃げた犯人も特定された。 PA434の事件の前1993年2月26日にNYの地下で爆発テロを起こしパキスタンに一時逃亡していたパキスタン人国際的テロ犯のユセフであると確定された。 逮捕された一人の証言で、犯人はニトログリセリンをコンタクトレンズの洗浄液のボトルに入れ、金属部品は靴のかかとに隠してX線検査装置をかいくぐっていた。(足首から下は検査されない) タイマーにはカシオのデジタル腕時計が使用された。 アパートに残されたPCから複数の飛行機爆破計画が残されていた。(アメリカの11の航空機と4000人の乗客が標的だった) FBIがマニラに来た時にはユセフはパキスタンに出国した後だった。 そこで2億円の懸賞金をかけたところ情報がもたらされ、ついにパキスタンで身柄を確保した。 240年の実刑判決を受けた。 |
293人の内1人死亡 |
| Qantas 32 |
2010/11/4 |
Singapore |
A380 |
機長の能力チェックの査察官をコックピットの後部座席に乗せてシンガポールを離陸したが、4分後突如第2エンジンが爆発した。 それによりありとあらゆる警報が次から次にECAMに出てコックピットは混乱状態に。 自動操縦からマニュアル操縦に切り替えて緊急事態を宣言した。 窓から見るとエンジンは大破しており、燃料が漏れ続けていた。 火災はエンジン消化装置で鎮火した。 ECASからのエラー(警報)は54件もあり、ひとつずつ対応を迫られた。 不具合箇所は山積みですぐにでも着陸しないと大変な事態に進展する事が想定された。 シンガポールへ引き返すことにしたが、機体の制御は完全ではない。 客室から目視するとエンジンの爆発で翼が破片で貫通していたので、制御系がダメージを受けているとわかった。 フラップやスポイラーなど不具合と、満載燃料の重さからと計算するとシンガポールの4000m滑走路を139m残して止まれると算出された。 コクピットの5人全員で精緻に計算を見直し、正確に着陸速度を求めた。 機長は着陸まで制御がどこまでできるかコントロール・チェックを慎重に行い、操作の限界を確認した。 制御量にほとんど余裕がないと確認された。 着陸速度に許される誤差は失速との間の数ノット以下だった。(滑走路オーバーランの為) わずか150mを残して無事着陸できた。 エンジンを調べるとオイル・パイプが破損していた。 オイルが流出し燃えてファンディスクが異常な速度で回転し分解破壊したと判明した。 オイル・パイプの片側の厚さがわずか0.35mmしかなかった。 ロールスロイスの製造ミスとわかった。 世界各国の約30機のA380の同部品が交換された。 |
全員無事 |
| Reeve Aleutian Air 08 |
1983/6/8 |
Alaska |
L188 Electra |
4発プロペラ機が洋上を巡航中に異音を発生、窓から監視するとプロペラがひとつ外れ、機体に当たり損傷を与えた。 客席の床に穴が開いた。 操縦かんが反応しなくなったが、Autopilotは機能した。 速度を落とそうとしたが、スロットルは反応しないので、機体破壊の恐れがあった。 Autopilotは完全ではなく、方向変更は困難だったが、最終的に高度は下がった。 しかし旋回と減速ができなかった。 その後Autopilot中に操縦かんを操作すると反応する事がわかり、出発した地方空港に向かうことができた。 しかし速度が落とせないので長い滑走路が必須。 アンカレッジ空港に着陸を決意。 その後操縦かんに制御がかろうじて戻ったのを発見、マニュアル操縦で機首・方位・角度が制御できる見通しが立った。 2番エンジンを停止した減速を狙ったが不十分。 1回目はゴーアラウンド。 2度目は着地と同時にエンジンを緊急停止、ハイドロは止まり、ブレーキを初め全ての制御を捨てた。 緊急ブレーキだけで奇跡的に無事停止した。 プロペラが外れた原因は調査のしようがなかったが、同型機でプロペラが外れる事故は数件事例があった。 |
15人全員無事 |
| Santa Barbara Air 518 |
2008/2/21 |
Merida, Venezuela |
ATR42 |
アンデスの山岳地帯の谷間にあるMerida空港を離陸、山間をぬうようなルートを取って通常通り有視界飛行。 地上接近の警報が鳴った。 機長が操縦を代わるが目前の標高4,000mの岩山を避けられず激突大破。 墜落場所は正規ルートから外れていた。 皆が使用しているショートカット・ルートだった。 しかしそのルートよりも外れていた。FDRの飛行ルート情報は失われていたが、操作情報を元にシュミレーターでルートを再現した。 やはり予定コースをはずれている様子だった。 CVRで両クルーが進路について混乱している様子が確認だれた。 離陸前にジャイロの不調を訴えていたが、そのまま離陸した。そもそもプリフライトチェック・リストを実行していなかった。 着陸機も迫るし、計器チェックもしないで急いで離陸した為に計器の初期化中に移動を開始したので、航法システムが動作しなくなったままだった。 機長は離陸後それに気がついたが、後で空中で再起動して動作させようと考えていた。 有視界飛行で飛行を続けたが、途中で雲の中に入ってしまった。 原始的な磁気コンパスで飛行したが、それでは山を避けられるはずがなかった。 最後の乗客が搭乗した30分後に機長たちは食事を終えて搭乗した為あわてて7分後に離陸したが、あと28秒待てば航法システムの初期化は完了したはずだった。 |
46人全員死亡 |
| Saudi Arabia 763 & Khazafstan1907 |
1996/11/12 |
New Deli, India |
747-200 & Ilyushin76 |
アプローチの指示に従ったはずの離陸機と着陸機が空中衝突。 Khazafstan機が指示高度に従わず両機の高度が一致した。 K機は無線を通信士が担当しパイロットとの連携が不足。 |
両機の349人全員死亡 |
| Scandinavian Airlines 686 |
2001/10/8 |
Milan, Italy |
MD87 |
Linate空港を離陸滑走中、V1を超えてローテートを開始した直後に誘導路から出てきたセスナ・サイテーション機に3つのギアで次々に衝突した。 MD-87はそのまま離陸しようと頑張って9秒飛行したが、右エンジンを失っており、左エンジンも破片を吸い込んでおりパワーが足りず、空港の格納庫に墜落し大破円状した。 霧で視程は50mだった。 誘導路の標識や地図には不備がたくさんあった他、誘導路のセンサー・レーダーは動物などの誤作動が邪魔なので使われていなかった。 地上レーダーは購入していたが設置していなかった。 管制官の誘導ミスが直接の原因。 空港の怠慢が事故を起こした。 |
MD-87の110人全員、セスナ機の4人全員、地上の4人、合計118人死亡 |
| Scandinavian Airlines 751 |
1991/12/27 |
Sweden |
MD-81(DC-9) |
離陸後25秒で両エンジンが次々にサージを起こして爆発を繰り返し、最後は完全停止。 陸地に胴体着陸をして胴体は3つに分解したにも係わらず奇跡的に全員無事。 サージを停めようとしてスロットルを下げたのに、むしろ回転が上がってしまいサージを停められなかった。 これは異常なパワー低下を補おうとするセーフ機能が働いたものだが良く周知されてなかったもの。 エンジン・サージの原因は、一晩駐機していたことにより翼に着氷していた透明な氷の層がはがれ、リアエンジンに飛び込んでブレードを破損させた為だった。 透明な層だったので、離陸前の除氷作業をした作業員も着氷に気がつかなかった。 |
129人全員無事 |
| Silk Air 185 |
1997/12/19 |
Indonesia |
737-300 |
35,000フィートを巡航中急に右に傾きそのまま真っ逆さまに音速を超えた速度でインドネシアのムシ川に激突した。 メーデー発信もなかった。 機体が粘土質の川底下に埋もれて残骸回収は困難を極めた。4.5キロ離れた場所で水平安定板が発見された。 フライトレコーダーが回収されたが急降下1分前に記録が途切れていた。 ボイスレコーダーは更に6分早く記録が止まっていた。 フライトシミュレーターで検証の結果、故意に操縦かんを操作しないとそれだけの急降下はしないことがわかった。 見つかった水平安定版のトリムを調べたところ垂直降下の設定になっていた。機長の素行調査によると降格や大きな借金を抱えていた。 機長が最後に休むと言って操縦席を離れた様子が録音されていたが、その時にボイスレコーダーのブレーカーを切った上で副操縦士をコックピット外に誘い出し鍵をかけた上でフライトレコーダーのスイッチを切り(アラームが鳴り響くのでそれまでは切れない)操縦かんを操作して墜落させたと推測された。 断定はされていない。 |
104人全員死亡 |
| Singapore Air 06 |
2000/10/31 |
Taipei, Taiwan |
747 |
台風接近直前の離陸滑走中にV1を超えた後、滑走路上の建設機械と激突し大破して出火して停止した。 一斉に機外脱出を試みるが燃料が激しく燃えた機体中央部の乗客の多くが死亡した。 フライト・レコーダーの解析で滑走路05Lではなく工事で閉鎖中の05Rで離陸滑走した為、工事車両に激突したものと判明した。 滑走路が閉鎖中であるのにグリーン・ライトが点灯されてたし入り口に工事中の表示もなかったが、フライトCPUは滑走路05Lに合わせたあったので、ディスプレイ上のビーコン標識がずれているのに気づかねばならなかった。 副操縦士はそれに気づいて警告したが機長はそれを無視した。 空港に地上レーダーがなくタワーから視認できないのも問題視されその後地上レーダーが設置された。 機長達は厳罰解雇された。 |
179人の内83人死亡 |
| South Africa Air 295 |
1987/11/27 |
インド洋上空 |
747-200B Combi |
コンビの後方貨物室で火災。 消火活動むなしくインド洋に墜落。 |
159人全員死亡 |
| Southern 242 |
1977/4/4 |
Huntsville, Alabama, U.S.A. |
DC9 |
レーダーを過信して嵐に突っ込み全エンジン停止。 道路に不時着。 |
85人の内63人と地上の9人死亡 |
| Spanish Air 5022 (Spanair) |
2008/8/20 |
Barajas, Madrid |
MD82 |
1時間15分遅れで離陸することになったが、長い滑走後離陸したが上昇せず失速し、右に傾いて数秒後に滑走路脇に墜落した。 同機は温度計の異常に気づき、離陸直前に整備場にエプロンに引き返し修理を行っていた。 エンジンを切ったので機内の温度は上昇し、乗客・乗員は暑さに苛立った。 外気温センサー(ラムエアー)が異常だった。 外気温センサーは修理できず、仕方なく回路を切ることにした。 センサーが働かないとエンジンを正しく自動制御できないので、クルーは手動でエンジンを調整することになった。 CVRの分析から、大幅に出発が遅れた2度目の離陸に際しクルーが行ったチェックは、チェック・リストを途中で中断して無線交信したまま忘れ結局不完全だったり、確認しないで記憶で復唱したりしていた。 MD82では離陸前にフラップとスラットの位置は3回のチェックリストで確認する事になっていた。 残骸を調べると、フラップ操作レバーが完全に格納された位置に傷が深くついていた。 ベテラン・パイロットがフラップを忘れるとは考えられなかった。 しかし事実は離陸フラップを全く出さないまま離陸をしたのはCVRの記録からも裏付けられた。 フラップを出さないで離陸しようとすると警報が鳴るはずであったが、調べると回路を切った温度センサーと警報装置は同じリレーを使用しており、温度センサーを切った為に警報が鳴らなかったと判明した。 |
172人の内154人死亡 |
| Swiss Air 111 |
1998/9/2 |
Canada |
MD11 |
ニューヨークからスイスに向かうMD11がカナダ沖にて機内火災でエマージェンシーを発しながら海に墜落した。 離陸30分後FL330で初めて管制官にポジション・レポートをした。 コクピットの空調設備から異臭がしてきた。 その時点では客室には異臭がしなかった。 その後また異臭がして来たので緊急着陸をしようと考えた。 管制官にパンパンパン(メーデーのひとつ下の緊急レベル)を伝えた。 最寄のHalifaxまでは100数十Kmだった。 副操縦士が降下を続け、機長はチェックリストに専念した。 管制官は降下を指示したが、クルーは客室の食事の片付けの為か水平飛行を要求したので、管制官は緊急性はそれほど高くないのかと考えた。 乗客は客室に煙はなかったので落ち着いていた。 機は空港まで50Kmまで近づいたが高度が高すぎた。 燃料投棄を今になって始めたので、空港を迂回する結果となった。 すべてが遅すぎたので管制官は驚いた。 突如警報が鳴り始めた。 APが停止した。 航空機の機能がひとつずつ停止して行った。 遂にエマジェンシーを宣言。 その30秒後、コクピットに火が吹き、メインの計器が停止した。 ここで通信が途絶えた。 その6分後に機は海に墜落した。 機体は55mの深さの海底で粉々に粉砕されていた。 配線の焼け具合から副操縦士のすぐ後ろの配線が出荷元だとわかった。 客室の娯楽システムは電気を常に喰うので発熱源と考えられた。 最後に機長が客室のバス・スイッチを切ったが、娯楽システムは、連動しておらず、電源が入ったままだった。 煙が発生したのにすぐに着陸を優先せずにチェックリスト消化を優先した機長の判断が問われた。 しかし、機長がすぐに降下を始め空港を目指したとしても時間が足りなかったと計算された。 ショートした配線の過熱で発火した箇所が特定されたが、そこは防音断熱材だった。 ポリエチレン・テレフタレートと呼ばれるその素材は可燃性だった。 |
229人全員死亡 |
| Tam Air 3054 |
2007/7/17 |
Sao Paulo, Brazil |
A320 |
高台の上に設置された1,940mしかない滑走路で悪名高い混雑したCongonhas空港に、リバース・スラストが片側しか使えない状態で着陸進入した。 折からの大雨で、機長はできるだけ手前にタッチダウンしたがリバーサーも効かず、フット・ブレーキも役に立たないまま減速ができず、猛スピードのまま左にそれて滑走路端を越え、高台から降りた先のガソリンスタンドのあるビルに突っ込んで大破し大火災となる。 通常は両方のスラスト・レバーをアイドリングにした後、両方のリバーサーを操作するが、制動距離を縮められる古い手順(両方のスラスト・レバーをアイドリングにしてから左側のリバーサーのみを操作する)を行おうとした。 しかし何故か左側のスロットル・レバーしかアイドルに戻さなかった為、右エンジンのスラスト・レバーはフル・パワーのままだった。 |
187人全員死亡と機外の12人が死亡 |
| Tam Air 402 |
1996/10/31 |
Sao Paulo, Brazil |
Fokker100 |
離陸直後に右に大きく傾いてビル街に墜落。 爆発炎上し全員死亡した。 FDRは無事だった。 第2エンジンの推力が上下に数度変動し、その後フルパワーとなっていた。 目撃者はスラストリバーサーが開いたり閉じたりし、最後は開いた状態だったと証言していた。 FDRによると離陸直後スラスト・リバーサーが離陸途中に2度開閉し、最後は開いた状態になっていた。 残骸を検査すると車輪接地を感知するセンサーが断続的に反応している事を発見した。 しかしもしそれでスラストリバーサーが働いても、オートスロットルがそのエンジンをアイドルに戻しているはずだった。 CVRを調べると離陸直後にオートスロットルが故障している警報が鳴ったが、機長はマニュアルで対応するので大丈夫と判断していた。 リバーサーの作動を知らせる警報は鳴っていなかった。 更に精緻に分析をすると、リバーサーが働いた為にオートスロットルがアイドルに戻したのに気が付き、それはオートスロットルが誤作動していると思い手動でフルスロットルにしてしまった事がわかった。 反発が3回あったが3回とも副操縦士はフルスロットルに戻した。 その結果リバーサーがフルに働いて、左右のエンジンがフルパワーで逆の動作をしてしまったのだ。 しかしオートスロットルに逆らって手動で動かせたのはおかしかった。 安全装置がそれを許さないはずだったからだ。 機体を調べるとオートスロットルの力をパワーレバーに伝えるワイヤーがジョイント部で切れていた。 実験すると切れる(ジョイントがはずれる)可能性があった。 副操縦士が3回全力で反発操作をしたので、オートスロットル・ワイヤーが終に切れ、フルパワーがリバーサーに与えられ墜落したとわかった。 Fokker100の構造欠陥が事故の原因だった。 |
96人全員と地上の3人死亡 |
| Tans Air 204 |
2005/8/23 |
Peru |
737 |
悪天候で視界の悪い中、プカルパ空港にアプローチ、かなりのタービュランスに揉まれる。 雹も降り始め、滑走路が視認できないまま混乱の中、突如降下が始まった。 警報が鳴って気付き、回避しようとするが回復できずそのまま滑走路の手前3Kmに墜落。 ボイス・レコーダーは見つかったが、残骸が多数盗まれた為、その他の証拠物が沢山失われた。 返還すれば500ドル払うと広告を出しやっとフライトレコーダーが回収された。 しかし盗んだ人間が中を開けていじっていて破壊されていた。 レーダー分析で降下のコースを計算した。 急な減速と降下は雹が降り始めたタイミングと一致していたが、エンジン内部には木や草が入っており、エンジンはフレームアウトしてない事がわかっていた。 おそらく雹の中の下降気流で降下が始まったが、コックピットの窓ガラスが雹が当たって亀裂だらけになり警報がなるまで降下に気づかず手遅れになった物と推測された。 音声分析から回避の為のパワーアップ操作をしていない事も判明した。 もとより嵐の中を回避しないで突っ込んで飛んだパイロット判断が疑われた。 機長が副操縦士に外を見て滑走路を探せと叫び続けたが、役割分担を無視したことで計器の監視ができなくなったと推測された。 機長のパイロット・ミスと結論づけられた。 |
98人の内40人死亡 |
| Tuninter 1153 |
2005/8/6 |
地中海上空、Italy |
ATR-72 |
双発プロペラ機のエンジンが両方とも停止。 修理の際にATR-42用の燃料計に交換してしまった為に燃料がないにも係わらずあるものと表示。 ガス欠。 不時着水を敢行。 |
39人の内16人死亡 |
| Turkish Air 1951 |
2009/2/25 |
Amsterdam, Holand |
737-800 |
Amsterdam空港にアプローチ中、高度8,500フィートの高高度からギア警報が繰り返し鳴ったが、それは機長席側の電波高度計が-8フィートを示しており、電波高度計の異常だと理解して続行。 ILSに乗って着陸体制に入った。 管制の指示でグライドスロープの上から乗るよう旋回させられた。 オートスロットルは機長席側の電波高度計を使って動作する為、RETARDモード(フレア)に入りスロットルをアイドル状態まで落としてしまった。 電波高度計のトラブルは同型機で頻発していたがボーイングは無視しており、パイロット達はREATRDモードに入る都度APを解除してマニュアルで操作するのが世界的に行われていた。 急激な高度低下を伴うグライドスロープの上からの進入でパワーダウンに異常を感じなかったし、チェックリストの完了に忙殺されて異常に気がつかなかった。 |
135人の内9人死亡 |
| United Air 232 |
1989/7/19 |
Florida, U.S.A. |
DC10 |
巡航中級に音がして操縦不能に陥った。 尾翼の第2エンジンが故障と判明したので停止したが、操縦かんに反応せず右にバンクを継続。 3系統のハイドロが全て喪失したことが判明。 主翼の第1エンジンと第3エンジンのパワーの制御で水平に回復。 エンジン制御だけでなんとか飛行を維持。 シカゴ行きだったが、スー・シティに緊急着陸を決意。 乗客の中にいたDC-10の訓練審査官の協力を得て(スロットル操作をまかす)なんとか滑走路まで持って行ったが機体は激突し分解した。 奇跡的に操縦クルー4人を含め174人が助かった。 ファンブレードのチタンに含まれたわずかな不純物が原因で金属疲労を起こした事が原因。 水平安定板の中に3系統のハイドロ系が第2エンジンの下に集まっていたが、そこが破壊されていた。 |
285人の内111人死亡 |
| United Air 718 / Trans Word 002 |
1956/6/30 |
Grand Canyon |
DC7 (UA) / L-1049スーパーコンステレーション(TWA) |
グランドキャニオン上空で消息を絶った。 レーダーもない時代だったので不明のまま、翌日になってグランドキャニオンの断崖の壁に2機が墜落大破しているのが観光用セスナが発見した。 2機はロサンゼルス空港を合い前後して離陸した。 互いの残骸の相手の機体の色が付着しており、空中衝突したと判明した。 傷跡からUAがTWA右後方から衝突したことがわかった。 2機のフライトプランは別のウエイポイントを通過し、グランドキャニオンの先で同じウエイポイントを通過する予定だった。 ただし高度は別の高度が与えられていた。 TWA機は当時のルールでは雲の上のVFRならどの高度でも良かったので上昇してUA機と同じ高度になった。 当時は観光の為に自由に飛行する事は普通だったので、UA機はキャニオンを見せて飛行していた所、同高度のTWA機に遭遇したものと見られた。 両機とも当時のルールに従っていた訳で、当時の航空管制ルールなどの未整備が本質的な問題だと認識された。 |
58人 (UA) / 70人 (TWA) 全員死亡 |
| United Air 173 |
1978/12/28 |
Portland, U.S.A. |
DC8 |
視界の良い静かな夜、ポートランド空港接近中にNo.4エンジンが停止した。 アプローチ中にNO.3エンジンも停止する。 その後No.1、No.2も停止し、全エンジンを喪失。 不時着が避けられなくなった。 密集した住宅地の先の閑散とした住宅地の木々の先端を500mこすりながらわずかな空き地に墜落した。 奇跡的に爆発や大破はなかった。 死者はわずか10人で済んだ。 地上での被害者もいなかった。 最後まであきらめず機体を制御しようと結果ではあった。 巡航中に突然ギアの部品がはずれてギアひとつ降りてロック状態となっていたが、警告灯はアンロックを示していた為に、空港の近くで1時間以上も旋回して調査した。 その結果燃料を使い切っていた。 燃料の警告灯が点滅を始めたが、機長はまだ持つと考えた。 しかし機長は最後まで残りの他のタンクの燃料を移動すればまだ持つと考え旋回を続けた。航空機関士から持たないと警告をされたが無視していた。副操縦士も残量をチェックし航空機関士と確認し合っていた。 機長はギアの事で頭が一杯で無視しつづけた。 この事故をきっかけにCRM(Cockpit Resource Management)が推進されることになった。 |
219人の内10人死亡 |
| United Air 585 |
1991/3/3 |
Colorado Spring, U.S.A. |
737 |
到着地のColorado Spring上空で乱気流に遭遇した。 空港を視認し、降下を初めVisual landingを始めた。 空港が近づくにつれ機体の揺れは激しさを増した。 時速370Kmで飛行中、突如機体の制御を失い右に大きく傾いてまっさかさまに地上に墜落し大破した。 機体は頭から地面に突っ込み機体のほとんどは地面の中に蛇腹状になってめり込んでいた。 異常発生からわずか10秒で墜落した。 方向舵が疑われたが残骸は粉々で確認できなかった。 方向舵を動かすPCU(パワーアシスト)装置の内部を見たところ細かい金属片があったが、これも損傷が激しくそれ以上は分析できなかった。 その他の方向舵の関連システムからも特に異常は検出されなかった。 FDRの残されたデータは急激に高度を下げたという事実のみだった。 1年以上かけても原因は特定できなかった。 その2年後US Air427便が安定した天候の中、ピッツバーグ空港にアプローチ中、10Km先行機のジェット後流を受けた後、突如機体が左に反転し墜落すると言う似たような事故が起きた。 PCUの一部であるデュアル・サーボ・バルブが最も疑わしかった。 やはりこの機でも小さな金属片が入っていた。 製造元はフィルターが付いているので混入するはずはないと反論した。 内部には金属片がつくるであろう傷も見当たらなかった。 方向舵はハード・オーバー(片側に目一杯向けられた状態)された状態だった。 ジェット後流はCVRによると予想外の強さだった。 副操縦士のうなり声も録音されていた。方向舵を踏んだ直後にうなり声を上げていた。 この事故も2年経っても原因が確定されなかった。 1996年6月、リッチモンド空港にアプローチ中のEast Wind Air 517便の737の機体が突然左に傾いた。反対のペダルを踏んだが反応しなかった。突如操縦かんが軽くなってきたいは水平になった。まだ再び右に大きく傾いた。そして30秒後また水平に戻った。 幸い無事着陸できた。 この便の事故も前の2つの事故と類似していた。 証拠もパイロットも残っているのでこれが解決の鍵と期待された。 PCUには異常はなかった。 1996年8月、PCUの熱衝撃試験が行われた。マイナス40度に冷やし、そこに高温の作動液を流した。 全く動かなくなった。 中に傷はなかった。一定の条件下ではPCUのバルブが動かなくなり、その痕跡は残らないことが証明された。 ボイーング社の試験でサーボバルブが時として逆に動く事があると判明した。 US Air 427便ではそれがうなり声の原因だと推測された。 ついにUnited Air 585便の原因が判明した。 ペダルを踏んだがこの逆転作用で押し戻されと考えると全てのFDRの記録と符合したのだ。 ボーイングはFAAに命じられ世界中の737型機のサーボバルブを新設計の物と交換した。 最終解決まで10年を要した事故となった。 |
25人全員死亡 |
| United Air 811 |
1989/2/24 |
Hololulu近くの太平洋上空 |
747 |
ホノルルからニュージーランドに向かい7,000mを上昇中、前方の雷雲を避ける為に迂回した。 突如床下で音がして貨物室のドアが吹き飛んだ。第三エンジンが停止し、客室内はデコンプで物が飛び散った。 呼吸を確保する為緊急降下を始めた。 酸素供給システムが壊れた為に乗客もクルーも酸素マスクが使えなかった。 4000mまで無事に降下したが、第三エンジンをシャットオフする。 燃料ダンプ開始。 9人の座席が穴から外に吹き飛び犠牲者となっていた。 燃料が重く、第四エンジンも不調となった。 高度を支えられなくなったので残りのエンジンをフルパワーに上げた。 第四エンジンが出火を始めた。 第四エンジンも停止せざるを得なくなった。 失速速度450Km、破壊を避けるために最高速度は460Kmと言う厳しい状態で、高度1200mでホノルルが見えて来た。 フラップが壊れており、高速での着陸を余儀なくされた。 無事着陸を果たし、脱出シュートで全員が脱出した。 747の貨物室ドアは外開きだったので強力なラッチ機構があったが、そのロック・メカニズムに設計上の欠陥があった事がわかった。 被害者の一人の父がエンジニアで調査書類を勝手に持ち出して独自に調査を開始、未公開な欠陥情報を知り、メカニズムを自分で作製してその欠陥を確信した。 そして操作者のミスだとして逃げるボーイングに対して、電気スイッチの不具合でラッチ機構のメカニズムの欠陥がドアを開けたと明らかにした。 しかし、その後NTSBが発表した原因は異なっていた。 それはドアの取扱い不注意だとされていた。 以前のパンナム機で同様の事故があった時、ボーイング社は部品を替える様に通達を出していたが、FAAは運行の障害にならないように18ヶ月もの修理期間を与えていた事を父は知った。 その後海中から貨物室のドアが発見されたが、すぐにボーイング社が持ち帰った。 父はボーイング社に詰め寄り5分だけ見せてもらい。、電気系統の不具合を確認した。 これでやっとNTSBは父の主張する原因が正しいと認めた。 |
355人の内9人死亡 |
| UPS 6 |
2010/9/3 |
Dubai |
747 |
離陸の22分後、31000フィートで貨物室メイン・デッキの火災警報が鳴った。 機長は333Km後ろのDubaiに戻る事にした。 消火システムを作動させ貨物室の酸素を抜いて、酸素マスクを装着した。 機長はAPを外してマニュアル操縦にした。 貨物室内の複数の場所の火災警報が次々に鳴った。 煙がコックピット内に充満してきた。 床から熱を感じた。 10000フィートまで緊急降下した。 下降中に昇降舵の操作が不能になった。 APに戻ることを決意したが、煙で計器類が見えなくなっていた。 なんとかAPに戻り機体は安定した。 Dubaiへの滑走路の設定は煙で計器が見えにくく困難を極めたがILSのセットはできた。 計器が見えないので管制官が飛行情報を伝えた。 しかしDubaiの空域を抜けてしまいレーダーコンタクトが消えた。 Bahrenの管制官に連絡をとりながら把握した。 機長の酸素が切れた。 機長は操縦席をはずし予備のボンベを取りに行くしかなかったが、戻ってこなかった。 副操縦士は一人になった。 一次空域をはずれBahrenの周波数に変えたままDubaiには戻せなくなり、Dubaiの管制官は間を飛ぶ航空機Sky Dubai751を無線中継に使った。 中継機を次々に変えて対応した。 伝言ゲームでデータが抜け落ちたりタイミングが遅れたりした。 空港近くまで来てILSをONにした。 速度が速く高度も高くてILSの信号は捕らえられず機会を失した。 感覚で高度を落としギアも降ろそうとしたが、ギアは降りなかった。 滑走路の上を通過した。 16Km先の空港をめざすことにした。 APへの入力を間違え違った方向に飛んだ。 APを切ってマニュアル操縦を試みたがうまく行かず軍の基地滑走路に墜落した。 現場から離れた場所の木が焦げており、近くにリチウム電池が落ちていた。 8万個と言う大量のリチウム電池を積んでいたのだ。 機内の損傷が最も激しいコックピットの後ろの貨物室の場所にはリチウム電池が積まれていたことがわかった。 機体の上を通るマヌアル操縦系統はすぐ破壊されたが、機体下部を通るAP系統は生きていた。 調査の結果貨物室の防火構造が不十分であると判明した。 その後コックピットに煙が充満した時に、クルーが計器と前方を視認できるようにエアバッグの様に飛び出す透明のビニール製の構造体を開発した。 |
2人全員死亡 |
| US Air 1493 & Sky West 5569 |
1991/2/1 |
Los Angeles, U.S.A. |
737&Fairchild Metroliner |
737はLA空港に管制許可を得て着陸進入したが、滑走路上に待機中だったMetrolinerに激突。 Metrolinerは737に滑走路脇の廃屋との間に押し付けられ大破粉砕した。 管制官が他の機の管制に気を取られ、Metrolinerを待機させてたのを失念し737に着陸許可を出したミス。 |
737の89人中22人、FC機の12人全員死亡 |
| US Air 1549 |
2009/1/15 |
New York, U.S.A. |
A320 |
離陸直後、鳥をエンジンが吸い込み(バード・ストライク)でエンジン停止(フレーム・アウト)、ハドソン川に不時着水を決行。 機長やアテンダントの対応は完璧で、着水も水平を維持して後世に名を残す見事な不時着となった。 マニュアルに無かったが機長判断でAPUをONにした事がCPUに理想的な機首角などを維持させた。 人間とCPUの連携が奏功した。 |
155人全員無事 |
| US Air 427 |
1994/9/8 |
Hopewell Township,
Beaver County, Pennsylvania |
737 |
飛行中に前方を飛行する機のジェット後流を避けるためにラダー操作をした途端に、機体が傾き操縦不能となって墜落した。 1996年6月にEast Wind Air 517便の737が、ラダー操作が不能になるトラブルで大きく傾いたり突然水平に戻るなどのワイルドな飛行を余儀なくされたが無事着陸できると言う事態が起きた。 類似のトラブルで重要な証拠を得て調査が徹底的に進められた。 1996年8月、ラダーを動かすPCUサーボ・バルブが一定の条件(マイナス40度の外気温に熱い作動オイルを注入)では動かなくなったり、逆方向に動作する(ラダー・リバーサル)事が度重なる実験で証明された。 しかも内部のサーボ・バルブには傷などの痕跡は残らなかった。 これですべてが解明された。 ボーイング社は数千機に及ぶ737型機のサーボバルブを新設計のものに交換することになった。 またこのサーボ・バルブの異常動作が判明したことによって、1991年3月3日のUnited 585の事故(25人全員死亡)原因が改めて解明された。 |
132人全員死亡 |
| Valu Jet Air 592 |
1996/5/11 |
Miami, U.S.A. |
DC9 |
製造後27年のDC-9はAutopilotが故障中で手動操縦にて上昇中、電源が故障したのでマイアミ空港に引きかえす事にした。 同時に客室で火災が発生しあっと言う間に火の海に。操縦も不安定になり制御が困難になる。 沼地に急降下し大破した。 貨物の中に航空機用の酸素発生装置が144個あったが、それは他の機体から整備会社が取り外したものであったが、安全キャップを装着しておらず、起動用のひもをテープで固定したり、そのままの物があった。 しかも書類の不備で中身は空と表記され荷物として雑にダンボール箱に入れたまま積荷とされた。 酸素が発生すると200度以上の高温になるものであり、これが火災原因となった。 |
110人全員死亡 |
| Varig Brasil 254 |
1989/9/3 |
Brazilのジャングル |
737 |
Marabaを離陸しセットした方位に向け自動操縦で飛行していたが、国内の目的地Belemに近づいても管制官と無線連絡ができなかった。航空標識からの信号も受信できなかった。 HF帯の周波数を使ってやっと通信ができた。Belem空港にはレーダーはなくパイロットのレポートを信じて指示を出す方式であった。 降下を始めても街灯りは見えず乗客も不安になった。 航法システムでは空港を通過していることを示したので、通り過ぎたと思い引き返し、更に高度を下げた。管制官は予定時間を過ぎても現れないので緊急事態を宣告した。 機長はラジオ放送の電波を頼りに飛び始めた。 しかし燃料が底をついた。 ジャングルに不時着を決意した。 両エンジンが停止し、木々の上を滑空しながら不時着をした。 機長は奇跡的に無傷だったのでキャビンの乗客の救助に当たった。 救助隊はBelem近辺を捜索したが見つからない。 救命無線が働いてないと思った機長は水が乏しい中みんなで小便をかけて作動を試みた。 2晩機内で過ごしたあと何人かが助けを求めてジャングルを歩き、農家を見つけて通報した。 Belemから1100Kmも離れたジャングルの中だった。 救助隊が救助するまでの間に更に6人が死亡した。 クルーは二人とも生存し、FDRもCVRも無事だった。 Marabaを離陸する時に27度と入力すべき方向を270度と入力した操作ミスが原因だった。 0270と飛行計画書に小数点無しの4桁で印刷されていた。(同社のフォーマット) 027.0との意味だったが機長は270と読み違えたのが原因。機長は証拠を突きつけられ、それまで計器の故障を主張していたが終にミスを認めた。 その間違いをチェックできなかった副操縦士の責任も重たかった。 離陸直後の太陽の方向の違いに二人とも気がつかないのも問題だった。 乗客の中にも方向がおかしいと少なくとも3人が客室乗務員に告げていたことが後でわかった。 |
54人の内6人死亡 |
| VMC メキシコ政府チャーター便 |
2008/11/4 |
Mexico City, Mexico |
ボンバルディア リアジェット45 |
政府高官(メキシコ政府No.2)を乗せたリアジェット機が空港にアプローチ中に突然ひっくり返りまっすぐに急降下、金融街の路上に墜落大破炎上した。 国が取締りを強化していた麻薬組織の関与が疑われた。 しかし機体のデブリは一箇所にすべて集まっており、爆発の可能性は否定された。 回収されたFDRの記録は2年前に停止したままで役に立たなかった。 金融街の監視カメラの映像に機体が急に逆方向に向きを変えて急降下している姿が写っていた。 制御系の残骸から異常は検出できなかった。 CVRの記録は正常に残っていた。 静かな操縦状態から突如「乱気流だ!」と叫ぶ声が入っていて、その後制御不能になっていた。 目の前に飛んでいた767との距離調整について管制官の指示とおりに速度を調整していなかったので相互距離は6Km(正常は8Km)だったが、当日は風がなく、通常より後方気流の渦が解消するのに時間がかかっており、それでも十分危険な後方気流が残っていたことがわかった。 減速と下降を同時に滑らかに操作できず、それぞれを別々に操作してたので管制官の指示通りに減速できなかったのが近づきすぎた原因と推測された。 また、CVRから同機のFMSの操作方法を理解していなかった事が判明した。履歴を調べると、クルー二人とも同機操縦資格証明書は不備だらけでサインもなかった。 |
9人全員と地上の7人死亡 |
| West Carribian 708 |
2005/8/16 |
Venezuela |
MD82 |
オーバー・ブッキングで補助シートをつかってぎりぎりになるように乗務員を降りしてまで満席で離陸。 高度33,000フィートで激しいタービュランスに遭遇。 31,000まで降下を始めたらまもなく失速警報が鳴り、急降下を始め、エンジンが両方とも停止したとの報告をしたまま、地上に激突。 しかし機体調査の結果エンジンは最後まで高速回転をしていた事が判明。 高度33,000フィートでアンチ・アイスをONにしたが、その結果発電の為にエンジンの推力が奪われ、ギリギリの重量で飛ばしていた為に安全高度限界31,900フィートを超えて飛行を維持できなくなったのが原因。 最悪のタイミングで発生した上昇気流で機首(エンジン)が上を向いてパワーが落ちたのをエンジン停止したと思い込んだ機長は失速対応をしなかった(機首下げ、パワーアップ)、むしろ機首上げをして完全失速。 また機長は副操縦士と相談もなく、2者の悪いコミュニケーションが解決を遠ざけた。 |
160人全員死亡 |
| XL Air 888 |
2008/11/27 |
Perpignan, France近くの地中海 |
A320 |
機体を購入する事になったNew Zealand航空のエンジニア達が搭乗し自動システムの受領試験飛行を行った。 操縦はドイツXL航空のパイロットだった。 低空で高度維持モードで低速飛行試験中に機首上げ状態が大きくなった。 スティックを下げたが機首上げは止まらなかった。フラップを上げても制御は戻らず、海に墜落した。 CVRから航空管制に基本的に従った飛行をしながら色々なテスト飛行を繰り返していた。 低空にも係わらず速度を落とし失速防止安全装置が働くかテストを行っていたが、自動安全装置がいつまでも働かない様子が確認された。 FDRによると飛行中に高度が変わっているのに、機体の横に取付けられた迎え角センサーが働いていない記録が残っていた。 回収したセンサーが機体両側分とも見つかったが、異常は認められなかった。 納品前の清掃で布でふき取らず高圧水で洗浄した事がわかった。 再現実験で、その為にセンサー内に水が入り、高高度で凍結しセンサーが動かなくなった事が実証された。 その為に失速防止システムが働かなかったと推定された。 最後に貴重はスティックを押し下げたが、その時にはCPUは矛盾からマニュアル操縦でトリムを調節せよと指示を表示していた。(シミュレーターで再現) スティックだけでは姿勢の回復は無理だった。 機長は状況を理解しておらず、警告に適正に対処していなかった。 飛行機の自動制御を過信し大胆な操作をしていた。 |
7人全員死亡 |
| Yak-Service 9633 |
2011/9/7 |
Yaroslavl, Russia |
Yak42 |
人気アイスホッケー・チームを乗せたチャーター便がYaroslavl空港を離陸滑走するが、ローテートしてもテイクオフせず、滑走路の先の草地を走ってやっとテイクオフしたが、地上設備を主翼がヒット、それ以上は上がらずその先1Kmのボルガ川に墜落した。 調査の結果、フラップ、水平安定版の角度も適正だった。 エンジンパワー(滑走速度)も十分だった。 積載重量も限界内だった。 詳細に分析すると滑走中に徐々に速度が低下していた。 途中で離陸は中止できたはずだった。(通常の離陸滑走距離は1200mだが、この滑走路は3000m近くあった) 副操縦士は神経疾患の治療を秘密で受けていた。脚の感覚が鈍くなっていた。 通常Yak40型機を操縦していたので、足をかかとを床につけずにペダルに乗せていたと推定された。(Yak40機は常に足を乗せて操縦) 感覚が鈍い疾患と重なり、滑走中にブレーキを踏み続けていたのが原因と推定された。 ブレーキ操作で機首下げの力がかかるので揚力があっても離陸がなかなかできなかった。 その為機長は機種上げ操作を強めていたので、やっと離陸した途端に急激な機首上げとなり失速した。 更に、滑走路をはみ出したところでなんと機長は離陸を中止しようとして機首下げ操作をした。 機関士はそれを見てパワーを下げた。 しかし会社の副社長であった副操縦士が何をしてる!と反対したため、機長は再度離陸体制をとったと言う考えられないミスを犯していた。 また両操縦士はYak42型機の訓練を終了していなかった。 |
45人の内44人死亡 |
| 自家用機 |
1999/7/16 |
New Jersey |
ハイパー・サラトガ |
暗殺されたケネディ元大統領の一人息子Jhon F. Kennedy Jr.が操縦した軽飛行機がVFRで5500フィートを飛行。 夜景を見ながらの飛行だった。 到着予定空港は同機と連絡が取れないまま行方不明として捜索を開始した。 政治的に次のアメリカを担う顔だった為、テロなどの可能性も大きく取り上げられた。 レーダーの飛行記録では空港まで50Kmの海上で不規則な飛行をした上、急降下して墜落していた。 4日後に海底の機体と遺体を発見した、 空中分解の可能性は否定され爆弾説は退けられた。 プロペラの変形状況から墜落時はエンジンは回っていたと推定された。 ケーブル類は異常なく操縦系統は正常だったと見られた。 計器類を調べたが異常はなかった。焦点はパイロット自身に移った。 飛行時間は300時間あったが、ソロフライトは75時間だけだった。11人の教官に17年の間をかけて学んでいた。体系的な技術習得ができていたかどうかは疑問だった。計器飛行の資格はとれておらず、夜間の飛行は不適だった。 当日教官は同乗を申し出たがパイロットは断わった。当日の気象はもやが立ちこめ視界が悪かった。VFRでは無理だった。 受信機の周波数は到着地の気象情報の周波数と数字ひとつずれていた。 空間識失調に陥って墜落したと結論付けられた。 目の前の計器を信じることができなかった。 |
3人全員死亡 |
| ポーランド軍用機101 |
2010/4/10 |
Smolensk, Russia |
ツボレフTU154M |
ポーランド大統領(カチンスキ)専用機が濃霧のSmolensk空港(軍用)にアプローチ。 ILSなどの地上支援装置はなかった。 濃霧の中ゴーアラウンドしようとしたが、高度が上がらず滑走路の手前420mの林の中に墜落した。 ポーランドのトップ400人のうち100人近くが死んだ。陰謀説もたくさん囁かれた。 ポーランド側の調査団はポーランド製のQAR(Quick access Recorder)と、ロシア製のフライトレコーダーの照合がロシアがデータ改竄してないことを証明できると考え、QARの捜索にやっきになった。 ボイスレコーダーでコックピット内に濃霧の中の着陸に暗に圧力をかける部外者がいる事と、ロシア語が話せる機長が無線通信も担当していた事がわかった。 QARが見つかり検証したがロシア側のフライトレコーダーとデータが一致した。 機長は高度の地上接近警報に反応していなかった。軍用空港はデータベースに入っていないため、、空軍パイロットは良く適当な高度補正を入力して警報がならないようにしていた。 更に彼らは電波高度計を使っていた。 その為滑走路手前の谷の測定高度を聞き、いきなり地上に接近したと推定された。 本質的には大統領からの無言の圧力を感じて無理をしたと考えられた。 ILSがない空港なのにAUTOPILOTでゴーアラウンドできると考えていた。 実際にそうしたが反応しない5秒の間に墜落した。 また地上管制官は稚拙な設備も手伝って機の位置をちゃんと把握してなかったし、更に濃霧で着陸は無理と考えたのに外国の政府専用機とあってあえて制止できなかった。 |
96人全員死亡 |