悪路に揺られ、バガモヨをあととすることとなった。二週間の研修であったが、後半はほと
んど寝不足の状態で、かなり疲労困憊していた。この辺は、はじめてタンザニアの名前をきい
た時想像したような、熱帯特有の植物(バナナなど)がやたらと目に付くところだ。しかし、
よくよく地図を見ると、内陸部は標高もかなりありサバンナといわれるような草原が広がっ
ていた。わたしが、赴任する所はちょうどタンザニアの中心あたりに位置するコングワという
国営牧場である。規模もそれなりに大きく、この牧場だけでひとつの村が形成されている。前
隊員の資料だけでは、そのくらいしかわからなかった。まあ、その前にひと仕事がダレスで
待っていた。日数は、よく覚えていないが、確か10日ぐらいであったと思う。国内旅行を命ぜ
られる。まあ、私にとってはスワヒリ語もままならない時だけに、度胸試しに行くような心境
だった。
つづく
2004/8/3(火)23:28 - Yuki 5H3HM <njema@bz01.plala.or.jp> - 60.net219106222.tvkumagaya.ne.jp 削除
ここマンテップの正門の直ぐ横には、大きなキリスト教の教会が鎮座していた。古いたたず
まいのこの協会は、相当古くからここにあるような、なんともいえない威厳すら感じる。村人
の半数以上はキリスト教徒で残りはイスラム教徒という割合らしい。日曜日ともなると、着飾
った村人やおめかしした子供たちが集まり賛美歌?を合唱していた。あまり、これといった娯
楽もないので、楽しみのひとつになっているようだ。
いつものように、夕方海岸への道を歩いていると大きな敷地の一軒家の軒先で一人しずかに
本を読む青年がいた。年のころにすると、30歳前後(子供たちの情報によると、フランスか
らきた宣教師らしい)ぐらいに感じる。故郷から遠く離れた異国の地へきているかと思うと何
か同じような境遇ではないかと、親しみを覚えてしまう。こちらに気がついたので、すかさず
手を上げ挨拶すると、彼も軽く手をあげたがすぐに本へ視線を落としてしまった。なんという
そつのない返事なんだ!?。どうも、一方的な同情であったようだ。
海岸は、白い砂浜・海はエメラルドブルーと南国のパラダイスであるが、どうも昔の忌まわ
しい歴史(奴隷の積出港として栄えていた)を想像してしまい、よけい物悲しくなってしまっ
た。私の心は、哀愁のヨーロッパならぬ、哀愁のバガモヨだった。